(全国高等学校演劇協議会公式webサイトより)
@ひこね市文化プラザ グランドホール
作:木谷茂生
出演:大阪府立緑風冠高校演劇部
やってきました全国大会。初日の一発目は『太鼓』。
たいこ,たいこ,たいこ…。事前に調べたりしていなかったのですが,朝私の近くにいた女子高生達が「あー朝イチ大阪かー。いきなり戦争かー。」と話しているのが聞こえ,ふんふんそうなのかと思っていました。
パンフレットをぱらりとめくって,うわぁすごいと思ったのが,この戯曲の発表時期。1956年。もう半世紀以上前のこと。これを!今!やろうと思った根性がすごいわ…と純粋に思いました。昨年度,地元長野県にも初演から10年以上経ってるのに中国が舞台のWWⅡ作品をやっていた学校があって(長野県屋代高校演劇班『南京の早春賦』),いやガッツがある高校だわ~と思っていたのだけど,それとはもう比較にならないくらい。当事者の,作者という名の当事者の言葉の重みを感じる,重厚な作品でした…。
そう。標準語で書かれている戯曲だから,役者から出てくる言葉も当然標準語なのだけど,なんかふと,(そういえばこの子達って大阪の子だよな。普段はバリバリの関西弁喋ったりするんだろうか)とか,そんなこと考えちゃって。私。 せりふの中でちょっと訛っちゃうとか,そんなことが全然なかったので…とにかく彼らのせりふに圧倒されてしまいました。
特に心にグサリと来たのは,速報のTHEATRE LAKE2015第4号にも書かれていたせりふ。「死んだ者は,いくら大勢寄り集まっても,無駄なのだ。私達一人一人の死が無駄だったように,……。私たちが,たとえ何億万人増えたところで,生きている人,たった一人の力にされ及ばない。なぜならば,私達は,誰一人として,訴える口を持ってはいないのだ……」
何億と一人を天秤にかけても,何億が勝てない。それは今ここにいないから。今ここにいることがどんなに強いことかを,改めて感じました。そして訴える口があるのなら,私達は歩み寄ることができる。はず。
でも,話すことができても,わかろうとすることができなければ,結局少年と<少年>のようにもなってしまうのだなという無力さというか,無能さというか…そんなものも感じました。
『太鼓』というタイトルですが,本当に太鼓の生演奏があってびっくり。日本人の心臓の音のようなものなんだろうか。戦争の音や音楽というと管楽器がつい思い浮かぶのだけど,もっと根源的なところにこの音があるような気がして,新鮮に感じました。
希望したから,兵士になることを希望したからこそ彼は少年から兵士になったけれど,肩書きが変わったからといって急に強くなるわけでもないし,戦える訳でもないし,ひとを殺せる訳でもない。見えない敵も怖くてたまらない。そんな弱さや脆さ,あどけなさが滲み出るお芝居。高校生が演じるからなんだかリアリティがありました。なんか本当に,よくこれを選んで取り組んできたなの一言に尽きます。朝から重厚なものを見せてもらいました…。
緑風冠高校のみなさん,お疲れ様でした。優秀賞,おめでとうございます。
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