Thursday, July 2, 2015

マームとジプシー『cocoon』


@東京芸術劇場

原作:今日マチ子「cocoon」(秋田書店)
作・演出:藤田貴大
音楽:原田郁子
出演:青柳いづみ/菊池明明/青葉市子/小川沙希/花衣/川崎ゆり子/小泉まき/西原ひよ/高田静流/中嶋祥子/難波有/長谷川洋子/伴朱音/吉田聡子/コロスケ/石井亮介/尾野島慎太朗/中島広隆/波佐谷聡/飴屋法水

生涯忘れることのできない舞台に出会いました。

2013年。この作品の初演の年。
公演があることは知っていましたが,この年は個人的にとても忙しく,自分で積極的にチケットを取ってお芝居を観に行くのが難しい時期でした。年末に新聞各紙や劇評なんかで「演劇界の事件」と書かれているのを読み,見逃して後悔したことを覚えています。
だから再演を知ったときは絶対観よう!と思って頑張りました。


なかなか文章にするのが難しいお芝居なので,余談(?)から…。

今回は映像のスタッフさんとして作品に参加されている召田実子さんに,終演後お会いしました。

召田さんは私の高校の部活の先輩で,じっこ先輩と呼ばせていただいています。実は3つ年が離れているので一緒に同じ作品を作ったことはなくて,先輩が高校を卒業された翌月に私が入学しました。
それでもじっこ先輩は私のことを知っていてくださいました。なぜなら私は中2のときから自分が観たお芝居の感想をネットに上げていたので,じっこ先輩もそれをご存知だったようで…。
さらにOGとして何度か高校にいらしたこともあり,先輩と同じ係になった私のことを気にかけてくださっていたのでした(と思っているの…)。

私が上京してからは,マームとジプシーの旗揚げ公演『スープも枯れた』やFUKAI PRODUCE羽衣の『あのひとたちのリサイタル』なんかを拝見したことがあるのですが,先輩にお会いできるのは本当に久しぶり。
いきなり来ちゃったし,もし先輩が私のことわからなかったらどうしよーう!と思ったのですがそんな心配無用で,私が高校生のときに会ったまんまの先輩がロビーに出てきてくださいました。

うまく表現できませんが,じっこ先輩の にぱっ という笑顔を見たら,『cocoon』を観て感じていたものがぶわーっと出ちゃって,数年ぶりに再会するなり号泣するというアクシデントが…。笑

泣き止みたいのに止められない私のあたまを,じっこ先輩は何度もなでてくれました。先輩の方が身長低いのに。それが余計に情けなくて,さらに涙出ちゃうという…。←
マームとジプシーのマームって,じっこ先輩のことを言うんじゃないだろうかと本気で思いました。


そんな,涙出ちゃうような作品でした。
沖縄のひめゆり部隊をモチーフにした漫画の同名作。
キャッチコピーみたいな感じで,フライヤーやwebに「憧れも,初戀も,爆撃も,死も。」と書かれているのだけど,まさしくこれがぜーんぶ詰まっていました。
本当に,よくこの作品を作ったな…と率直に思いました。舞台化しようとか,こう作ろうとか。藤田さん,本当にすごい劇作家です…。しかもやり残した感じがあって今回再演されているようなのでさらに。私は原作の漫画は読んだことないですが,この作品に向き合うには相当な覚悟が必要だと思うので。

そうそう。藤田さんは象徴するシーンのリフレインを別角度から見せる映画的な手法を特長とされているようで,確かに以前拝見した舞台もそんなふうになっていた気がします。ただ当時の私はそういうものに見慣れていなかったりリフレインが織り成すものの意味をうまくキャッチできなかったりで,あまりそれを魅力に感じられなかったのです。

でも今回はそのリフレインがとても素敵で,いとおしくて,かけがえのないもののように感じました。「今はいつなんだろう」みたいなせりふがあったと思うんですが,時間軸を超えるという意味でこれがとっても効果的だったというか。
廊下で先輩と後輩があいさつしてすれ違うとか,今日帰りに甘いもの食べて帰るとか,掃除さぼってどうのとか,そういった日常的すぎてある意味「どうでもいい時間」の積み重ねの中にちょこちょこっと戦争という非日常が挟まってきて,いつしか日常が奪われていく。「どうでもいい時間」が本当はとてもいとおしくて,かけがえのないもので,キラキラまぶしかったことが,あとになってわかる。繰り返しの中から,そんなことがじわじわと滲むように伝わってきました。

あと,すんごい動くんですよねこの舞台。役者さんが。息切れないの!?っていうくらいノンストップ。「止まったら死んでしまう」と表現されることがあるけど,あの女の子達もキラキラが止まらなくて,はじけるように舞台上を生きていたのかな。
でもゴム跳びとか本当にすごいと思うのだな…。舞台転換というか場が換わるときにいちいちゴムをぴよーんと2,3人が跳んでいて,鮮やかすぎた…。引っ掛かったりとかしないのだろうかとか思って観てました。笑

ガマでの活動中のシーンは,カオスすぎてちょっと気持ち悪くなりました。でもこれがあの子達が味わったものなんだろうとも思いました。
男の人達の「学生さーん!」がインパクト強くて,観劇して2日くらい置いてこの文書いてるんですが,それこそうじ虫のように耳にこびりついてます。
そうそう。ガマのシーンは声にエコーがかかっていたので驚きでした。そんな,リアルタイムでエコーかけられる仕組みがあるのですね。舞台で。現代の技術すごいなぁ。

音声といえば。途中で爆撃音が入るのですが,それが地響きのようで客席が揺れました。こんな音響体験は初めてで,本気で五感に訴えてくる舞台だなぁと思いました…。

あとその,場の転換が鮮やかでうわぁ~って思いました。
木枠で場がバンバン換わっていくのですが,私だったらあの操作やれる自信がない…。皆さんの空間認知の力がスゴイ!って素直に思いました(笑)。
本当に平面の木枠を,立てたり床に置いたり回転させたりで空間を仕切っていたり,ベニヤっぽい板に切り込みを入れて→それを組み合わせて棚なんかにしちゃうあたりは予算が少ない高校演劇とかでも使えるのでは…なんて思ったり。あたまいいな,あれ…!

流れに身を任せ…,さらにせりふのことなんですが,先日平田オリザさんの「わかりあえないことから  コミュニケーション能力とは何か」を読み,マイクロスリップが入ることで人間らしくなる…みたいな情報を得ていたのですが,藤田さんのホンってすごいこのマイクロスリップだらけということを再認しました!
私が初期のマームに馴染めなかったのは,逆にこれが新鮮だったんじゃないかと思います。でも「あれがそれして」みたいなせりふ,今聞くとすごーく人間味を帯びてるなぁと思います。
藤田さんがどこまで平田さんの影響を受けてるかはわかりませんが,桜美林で繋がってたんだろうななんて連想をしました。

あと。この作品は,タイトルにもなっているからある意味当然なのだけど,''繭''がキーワードなんだろうなと思いました。サンは何度も何度も「繭が私のことを守ってくれた」と言っていたけれど,繭って人のことでもあるし,サンが思い描く空想の世界のことなんだろうとも思います。空想の世界を繭と呼ぶ作品は,昨年度高校演劇の関東大会に出場した千葉県立成田国際高校演劇部『繭の中』もそうで,この作品のことも思い出しながら観ました。
現実に直面していたら自我が崩壊してしまうのだろうな。生きるために繭が必要だったし,繭がなくなってしまったら生きていけないのだろうな。

まだ書くのかと自分でも思いますが高校演劇繋がりで…。
これも昨年度の関東大会で観た作品。長野県屋代高校演劇班『南京の早春賦』のラスト!終わりよければ…みたいなまとめかたになっていて解せなかったのだけど,やっぱあのラストは理想の中の理想になっていて,それこそ「繭の中」で世界が完結しているのではと改めて思いました。はい。それだけです。


本当にただだらだらと書いてしまいましたが,私の心を貫きまくった作品でした。事件を,追いかけることができてよかった。原作も読んでみたいです。(今回の舞台,サンとマユ以外は役者さんのお名前がそのまま役名になっているのですね。これも時間を超越してそこにいたかもしれない感がしてきゅんときました…。)

東京公演が終わると全国ツアーが始まるようです。沖縄にはどんな風に受け止められるのかな。またきっと他とは違う空気になるのだろうななんて思います。


過去からしたら未来である今も,今から見た未来も,「偶然」が起きない時代にしなくては。

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