Friday, July 31, 2015

第61回全国高等学校演劇大会(滋賀大会) 長野県松川高校演劇部『べいべー』

(全国高等学校演劇協議会公式webサイトより)

@ひこね市文化プラザ グランドホール

作:青山一也
出演:長野県松川高校演劇部

いよいよ私の出身地・長野県の松川!
昨年の県大会から始まり,関東大会,2ヵ月前のまつもと市民芸術館での公演をちゃっかりしっかり観てきたので,勝手に思い入れがある松川!
お昼休憩直前のいわき総合から出口に近い席を確保し,お昼休憩に入ったらちょっとダッシュして列に並んじゃいました。年甲斐もなく…。←お陰で前方のセンターを確保。たかしくんのプロポーションをお楽しみいただけました。笑
(ちなみに過去の公演の感想は,上記の大会名とか会場名とかにリンク貼りました。)

そう…。4度目の観劇で,2015年度版キャストでの公演も観ているので,そういう視点から書きたいと思います。

60分観て思ったのは,ちゃーーーーーーーんと2015度版になっている!!!
ということ!!!(゜ ゜)
ちゃんと,現メンバーのものになってたんです,今回の舞台!!(大事なことなので2回)

6月のまつ芸では,「3年生が抜けた穴を埋めた感じ」の舞台だったり会場に負けているように見えて,(まぁ仕方ないよね)とどこかで思っていたのです。
がっ!

…きっと,この2ヵ月で新しい役についた方は自分のモノにしようとされたり,新しいキャストさんと昨年度からのキャストさんをうまくなじませてきたんだろうなぁと思いました。
例えば出だしのテンポは明らかによくなっていたし,夫婦がはけていくところは変にせりふを引き摺っていなかったし,詰めた!というのがよーくわかりました。けんたくんが着ている「もも」の衣装も新しくなったりしていて,稽古を重ねて破けたのかなとかいろいろ想像を巡らせていました。笑

あと,キャストの皆さんの髪の伸びで2ヵ月経ったなということも感じました。笑
かりんちゃんの髪の毛の盛り具合とか,さくらちゃんのひとつ縛りとか。(あれ。でも6月にさくらちゃんがどういう髪型だったか覚えてない…!)(でも県とかは下ろしてたので,結べるようになったんだねぇってしみじみ思いました(´v`)笑←そして縛ってあるからちゃんと首も見える…。)(そうそう,前回は天パに見えなかったたかしくんもちゃんとくるくるしていた。)

やっぱり全国ってお客さんも(一緒に芝居をつくるぞ!)って目で観ているような気がして……。たとえば大分豊府の『うさみくん』で手拍子が起きたり,その他でもちゃんとパフォーマンスする側がしかけたところに乗っかって笑ったり,そんなの。そういう土壌があるから,今回の『べいべー』もお客さんが味方してくれたなぁと思いました。義務というよりは,ちゃんと感覚で味方してくれたなと思います。つまり面白さがきちんと届いた!100%部外者ですが,笑いが起きたときはしめしめって思いましたし,安心しました。笑
そして,4回観た中で,今回の舞台が一番良かったなって素直に思います。今回のこの公演を観られて,良かった。

お客さんの度肝を抜いたのはおそらく例のそいやっさだと思います(笑)。が,前回とっても微妙だったので看護婦さんどう頑張ったかなーとついつい意識を注いで見てしまったんですが,見事微妙から絶妙になってました(´∇`)☆ちゃんと見えて→認識して→反応するというプロセスが,あの間から伝わってきました!お芝居でもお笑いでも私達観客って,何かアクションがあったらそのアクション自体に面白みを感じるというよりは受け手のリアクションに面白みを感じていると思うので,看護婦さんの衝撃を私達も共有できたなーって思います。


というのがストレートな感想。


そして2010年代なので舞台の感想はさまざまな手段で世に出ておりまして,私もさまざまな手段でいろんな作品の感想にちょこちょこ目を通しました。その中で引っかかったものがあったので,ここからはその感想の中のひとつ「作品が古いということ」を受けて,考えたことを書きたいなと思います。反論というよりは,私の目線で思うことをつらつらしてみます。

この作品自体の初演は2007年頃なの…かな?いやそれはあんまり問題じゃないか。書かれた時期より中身の問題だな。看護婦という名称から看護師に統一されたのは2002年だから,この作品の中身はそれより前の時期なのだろうなーと思います。現代なら大概の病院では取り違え防止のバンドがあると思いますが,それがないからこそ取り違えてしまったんですよね。「この時代だからそうだった」「そういうことが起きたから生まれたドラマ」という取り方になるんじゃないかななんて思います。

どの時代のどの国の作品でも,ひととして生きていくにあたって根底に流れる普遍的なテーマってあると私は思っていて,『べいべー』はそういうとこに近い作品なんだろうなと思います。“(親がどういう人かを含めて)生まれる環境は選べないけど,生きていこう”…みたいな。もちろんそういうのが通用しない環境もあるけど,現代の日本では通用する。むしろ当たり前すぎるからそれを古いと感じるひともいるかもしれないけど,タイムリーなトピックスばかり追っていてもつまらなかったり苦しくなったりする気もします。
あと勝手な想像ですが,2014年に全国に行った次に何を選ぶかってなったときに,原点(みたいなの)に立ち返るってありそうな選択肢だとも思います。それがまた評価されてここに至ったんじゃないかと…。

なのでこの作品の「古さ」は,私からすると特に問題じゃないです。そういう状況下の中で彼・彼女が感じたこと考えたことを共有する作品,という感じです。


話がずれますが,先月高校の部活の先輩(芝居づくりを職業として選んだことがあるひと)と話した時に,「作る側の楽しみを知るには観る側の楽しみは捨てなきゃいけないよ」と言われたことがあるという話を聞きました。それを聞いた私は「観る側100%で生きていこう…」と思ったものです。いや中学高校の5年ちょっとは作る側だったわけですが,観る側の年月の方が圧倒的に長いので大丈夫です。(←何が。)私は素人のプロを極めたいと思います。
演劇の学問的な知識とかが全くない,素人のプロから観るとこんな感じです。

はーい。最後はなんだか小難しい話になっちゃいましたが,とにかく良いものが観られました!長野県の高校が全国の舞台でお客さんを笑わせていたのが,元長野県民として本当に嬉しかったです。現役のときは私達の学校も全国を目指していたので悔しい気持ちがなくもないですが,時代が違うしそれ以上に面白かったので,もう関係ありません。笑
松川高校の皆さん,お疲れ様でしたー!そしてありがとうございましたー!

+++

2015.8.21追記。

そうそう。先日気づいたことがあるので,書き足しておきます。
昨年11月からこの作品を観るたび,ずーっと何か違和感がありました。それが何なのかはわからずにいました。

でも,わかりました。この作品,「看護婦」と「准教授」という単語が出てくるのです。
上記で“この作品は看護婦というワードを使ってる時代の作品だと解釈した”みたいなこと書いてますが,よくよく,よーく考えると,看護婦という呼び方から看護師になったのは2002年。助教授から准教授になったのは2007年。なので看護婦と准教授という組み合わせはなんかちぐはぐしているんじゃ!
(…ということを,ある朝洗顔してるときに気づきました。笑)

まぁもちろん,今でも呼ぶ人は看護婦さんって呼ぶし,保育士じゃなくて保母さんって呼ぶし,あの子達の親がそう呼んでいたのかなとこじつけることもできるけど。でもね。という感じです。

重箱の隅をつつくようなこと書いてすみません。でも半年以上うっすーら,この違和感があったので,それが何だったのかわかった!やったーという感じなんです。笑
それだけです。すみません…。(--)

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