@世田谷パブリックシアター
原作:中島敦
構成・演出:野村萬斎
出演:野村万作/野村萬斎/石田幸雄/深田博治/高野和憲/月崎晴夫
大鼓:亀井広忠
尺八:藤原道山
2005年の夏。私はとある舞踏公演を観に東京にやってきました。当時高校生。
夏に東京に来たのは初めてで,めっちゃくちゃ蒸し暑くて,コンクリートジャングルってこういうところ!!!…と,体感したのでした。
そしてもらう大量のフライヤー。
その中にあった,『敦』。これです↓
それから10年。
再演の一報。
(…観たい!)
条件反射並みのスピードで,そう思いました。
高校の部活の同期を誘い,気合いでチケットを取り,行ってきました世田谷パブリックシアター!
超たのしかったーーーーーーーーーー!!!!!
やはり“ホンモノ”に触れると,心が潤いますな…。
とても充実した時間を過ごせました♡
S席7,800円の価値は十分にありました!
全然まとまらない中書くのですが,まず中島敦の半生について思うところを…。
…さ,33歳で亡くなっているのですか…!?
私,彼の享年まであと7年くらいしかないんですが…。
なんて,なんて短い人生なの…。
気管支喘息の療養も兼ねてパラオへお出かけしていたことも,今回初めて知りました。一瞬スタジオジブリの映画『風立ちぬ』のヒロインを思い出しました。ちょっと違うけど。
でもWikipediaなんか見ると,執筆期間は1年くらいなのですね。なんだか,そこで生命のエネルギーみたいなものを爆発させたような感じですね…。自分がここにいたことを残したい。そんな気持ちが執筆期間と作品数から見えるような気がします。
この作品を観る前に,最新号のシアターガイドを立ち読みしました。笑
萬斎さんのインタビューを読むと,萬斎さん自身も伝統芸能の家に生まれた自分の境遇に悩んだことがあったそうで,“自分とは何か”について深く考えたのだそうです。
私も「自分とは何か」とか「何のために生まれたのか。生きるのか」ということについて昔からずうっと考えていて,でも答えは出ないからすごく関心の高いテーマで,そういう意味でもとっても楽しみな舞台でした。
この作品のタイトルには「山月記」「名人伝」がくっついていますが,その他にも彼の作品からいろいろ引っ張ってきていました。一番心に残ったせりふは,「山月記」から引用している
“人生は何事をも為さぬには余りに長いが,何事かを為すには余りに短い。”
という言葉。2時間の中で一番多く出てきたせりふかな。
この作品が再演に至るまでは10年かかりました。(あぁ,私はあと10年で何を為せるのだろう。)そんなことをぼんやり思いました。
「山月記」でも「名人伝」でも,野村萬斎演じる敦の他に,赤と緑と紫の“敦たち”が出てくるのが印象的でした。センターで萬斎さんが立っている背後から,左右にゆらぁ~って,人生の影のようなものが出てくる。それがとっても演劇的な表現で,ぞぞぞってなりました。キーの色(赤緑紫)以外は,メガネも髪型もスーツも全部同じ敦たち。彼らは,敦が生きなかったもうひとつの人生の象徴なんだろうなと思いました。同時に…背後から見ている敦自身でもあるのかな。重くて,濃くて,存在感の大きな3人だったなと思います。
「山月記」は,本当に古典芸能っぽくて(2時間こんな調子なのかしら)とつい心配してしまいました。笑
あと虎になった萬斎さんが…。なんか勝手なイメージで黄色っぽい虎になるのかと思いきや銀ぽかったので,(そっちなのか!)と思いました。笑 うまく言えないけど,衣装で表現するのって難しいですな…。←
うさぎちゃんが徐々にむしられて引き裂かれて血まみれになるのがよかった…。ただ上手下手でポンポンとキャッチアンドリリースを繰り返しているだけなのに,鮮やかだなぁ~。(ほれぼれ)
あとお付きのひとたちが外側から内側へジャンプして降りるのと同時に,萬斎さんがびゃっとジャンプしてセンターの段に上がるのは(おぉっ)ってなりました。萬斎さんのジャンプ力,すごいな…。ふなっしーもびっくり…。
そうそう。今回ちゃんと読み返さずにいきなり舞台へ行ってしまったのですが,(李徴ってあんなに自虐キャラだったっけ!?)って思いました。笑
伍のシーンで,
敦 《前略》自分にとって,恩倖,これに過ぎたるものは莫い。
袁傪 袁傪もまた涙を泛べ,欣んで李徴の意に副いたい旨を答えた。
敦・高野 しかし
敦たち 忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻って,
李徴 (自嘲的な笑いで)本当は,先ず,この事の方を先にお願いすべきだったのだ,《以下略》
という場面があるのですが,李徴のぶえーん!ぐすぐす…からギャーッというコロリ具合が(まじかー!)ってなりました。なんだこのひとーって。笑(←擬音だらけでスミマセン…。)
そしてこのひとすんごい脆い…。なんていうか,この時代に精神医学という言葉があれば,ボーダーってこんな感じなのかなとか思いました。この揺れ具合よ…。
あとこれを観ていて,昨年観た映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を思い出しました。歌手になることを目指して上京した増田壮太氏が,世間の波にもまれて傷つき,思い通りに人生が進まず「映画を完成させてね」というメッセージを残して自殺するまでと,完成させるまでの話。ノンフィクションのパートとフィクションのパートが混ざりあいながら,フィルムは進んでいきます。
李徴のようなひと,増田くんのようなひと。こういったひと,現代にもいくらでもいるんだろうな。
そんなことを思いました。
あの映画を観て以来,(思い描いた世界にたどり着けない場合,どうルートを修正することが妥当なのだろうか…)とぼんやり考えていたのだけど,改めてぼんやり思い返しました。
「名人伝」は「山月記」と大きく違って,すんごい愉快で楽しかったです。
万作さんは,地元のまつもと市民芸術館で11年前に狂言を観て以来な気が…!
親子共演…。ドキドキして観ちゃいました。前回はお父様がやっていた役を今回は萬斎さんが演じるというあたりに,時の流れを感じます…。
この「名人伝」は,2015年だからこそできた演出なんだろうなーと思います。スクリーンを使って漢字で遊ぶのが本当に面白かった!矢が刺さりまくるやつとか。虱とか。「鳥」を射止める演出とか「鷲」を射止める演出,最高でした。なかなか演出で最高とか書くニンゲンじゃありませんが,これは最高というか最強だったな…!やられた!私も鷲をキャッチしたい!!!笑
あと萬斎さんがコミカルなお芝居やってると本気で輝くよね。2014年に観た舞台『神なき国の騎士』でも思ったけど。なんなのこの幅の広さ。それでいて上品だからさ。すごいとしか言いようがないよね。うん。
だけど最後はこれでもかーってほど舞台がぐるんぐるん回転して,時間も時代も超越して“敦”が私たちに「何を為すのか」「為せるのか」「自分とは何か」を突き付けてくるようで,ぐおおーって胸に迫ってきました。あぁぁ。とても濃密で重厚な舞台だった!
舞台美術も一見シンプルだけど効果的でよかった!月のように,私には見えました。灰色の月。石でできたような月。客入れのときの敦の写真とか,お墓とか。きれいだったな。(そして幕が上がるとお墓から敦が蘇る!)
月(に見える舞台)の装置も八百屋になってるから,キャストが歩くだけでその道のりが大変なことが伝わってくるし,「名人伝」ではめっちゃタッパがある方が客席側に回っているから紀昌のオロオロ感もよーく伝わってくるし。良かったなー。
ざっくり書いてしまったけど,買ったパンフレットはまさかの顔写真なし脚本ありの豪華(!?)な内容だったので,インタビューも含めてじっくり読んで,もう一度作品を味わいたいと思います。
萬斎さんが演じるからこそ意味ある作品だったんだろうなと実感…。
最近こういう舞台を観ていなかったから,本当に刺激的でした。満足!
あとあと,実は今回初めて藤原道山さんの尺八を生で聞きました。これも加わってさらに満足でしたー!
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