Sunday, September 20, 2015

第30回中信地区高等学校演劇合同発表会~ゆめ舞台2015~ 長野県松本美須々ヶ丘高校演劇部『木の葉に書いた歌』

(中信地区高校演劇合同発表会パンフレットより)

@まつもと市民芸術館主ホール

作:郷原玲
出演:長野県松本美須々ヶ丘高校演劇部

昨年中信地区に新たな風を巻き起こした郷原先生。美須々に異動されて2年。先月はサマフェスにも行っている。昨年は1年生だけだったけど,今年は1,2年生の2学年体制になっている!
→つまり今年は超気合い入れた作品を持ってくる!!!

と思っていましたので,私が個人的に気になる3校のうちの最後はここでした(美須々への思いを綴った記事はこちら)。
文化祭公演を観た方のTwitterを拝見していたのですが,それによると同時多発の超長いせりふがあって,それがすごいらしい。のです。
でも,始まったらこのことは忘れてしまって,該当シーンに入って(あっ,そういえば!)ってなりました…。なんてことだ私の記憶よ…。

やー。気合い,パンフレットからも見えました。だって【上演にあたって】が

“2015年,節目の年に思いを込めた物語をお送りします。”

のひとこと。これに全て詰まってるじゃないですか。

なんか,観終わったあと,一緒に観たひとと話したんですけど,「小川先生がこっちから45度で切ったら,郷原先生は反対側の45度から切ってくるひとだね」っていうことでまとまりました。うまく例えられているのか,そして第三者に伝わっているのかイマイチわからないですが,でも我々はそう思いました。やっぱり伝統とかなんとかじゃなくて,「“それ”を食べたらそう育つ」というか。扱う題材は違っても,実験方法は同じというか。そんな感じ。
(これは小川先生がバリバリ顧問だった時代に他校の生徒だったOBOGの一意見です。そんな感じでさらっと流してください…。私達もモノを見るときはどうしても,その他校のレンズを通してになってしまいます…。)

そして,郷原先生がやりたいことを美須々でも始めたぞっという感じがしました。多分昨年は1年生の部員さん4人でなんとかあれを作った!という状態だったと思うんですが,部員も増えたし当時の1年生も経験を積んだし,やりたいことやってるなって。出だしから,昨年の長野県茅野高校の『夜長姫と耳男』を思い出しました。雰囲気似てました。ああいう感じがお好きなのかな…。
でもって美須々もアタマから踊ってました。前日の豊科もそうでしたが,朝イチから踊るってすごいわ…。音と動きとすごい合ってて,おぉっと思いました。

私は昨年美須々の『B面セレナーデ純情奇譚』を観た時に,(このひとたち普通にせりふを出すことってできるんだろうか…)と思っちゃったんですが,今回もおんなじような喋り方だったので,その道を極めると決めたのかなと受け取ることにしました。ある意味すんごい癖のある喋り方(特に章太郎くん)だけど,しっとりしたシーンではきちんとストレートに出せているからいいのかな。でももしそれが癖というか,それしか出せなくなってしまったらとてももったいないなと思います。

朝イチって会場はあったまってないし,発表する側も顔や体が動かしづらいので大変な枠だなーと常々思っているのですが,そういうコンディション+↑に書いた喋り方だったので,お芝居のスピードについていくのが大変でした。たまに聞き取れないせりふもあったけど,それは勢いで押していたので(高校生若いな…)とも思いました。
そう。勢いはある。日本があれよあれよと戦争の道を突き進んでいくように,章太郎くんをめぐる世界も,もんのすごいスピードで動いている。それはすごく伝わってきたのですが,中身が私のところまで落ちてきたかというと,必ずしもそうとは言えないかも。んー。なんだろう。なぜなんだろう。んんんー。ちょっとまだうまく言えないです。でも,きっと流れていたから,前半もっと笑えるであろう箇所(さむらごーちさんとか)は,耳で聞こえて意味を理解できる前に次のせりふが出てしまって笑えなかったのかななんて思います。本当はもっと笑えるお芝居なんだろうと思います。

村上春樹の作品っていろいろ選択肢はあると思うんですが,「海辺のカフカ」かーっと。
私はハルキニストではないのですが,なんかこの作品てエディプスコンプレックスとか精神分析的な要素が盛りだくさんで,比喩を読み解けばわかる作品なのかと言うと必ずしもそうじゃないのかなと思ったりもするんです…よね。なんか余計な部分までくっついてきてしまう気がして,なんで「カフカ」なのかなという感じはしました。でもこれもきっと郷原先生の趣味なので,なんとも言えませんけど…。

あとCanCamね!笑 まさかあの舞台(まつもと市民芸術館)にCanCamが出てくるとはね!笑
私も大学生のときに愛読していたものです…。←

そうそう。村上春樹もCanCamも,現代の日本を引っ張るモノの象徴として出てきていると思うんですが,あれ見た時に(そっかー。CanCamって世の中引っ張る雑誌なんだー)って思いました。笑
それこそエビちゃんとか山田優がこの雑誌にいた頃は間違いなく赤文字系雑誌でナンバーワンだったと思うんですけど,今ってどうなんですかね。あの頃のエビちゃんに匹敵するモデルがいるとは思えないし,「ファッション雑誌といえば○○」ってぱっと言えない時代な気がします。

(……という訳で調べてみました!一般社団法人日本雑誌協会によると,2015年4~6月の女性ヤング誌のファッション・総合部門では一番発行されているのが「ViVi」でした。ちなみにカジュアル部門では「non・no」,女性ティーンズ誌のティーンズ総合部門だと「SEVENTEEN」,女性ヤングアダルト誌のファッション総合部門だと「MORE」のようです。納得~。)

なので,演じる高校生からするとCanCamって少し遠い存在に思える気がしました。女子高生にとって不動のSEVENTEENあたりがちょうど良いのではないかとも思ったりしましたが,そこも郷原先生の趣味だと思うので,そっとしたいと思います。←
(ちなみに私は現在AneCanで落ち着いています。←←←)

はい。メディアの話は置いておいて…。
そうそう。期待していた同時多発のあれ。
なんか,私はてっきり2人組くらいの会話が2箇所で同時並行してるシーンが出てくるのかと思いきや,全然違いました!ラスト10分がとにかくスゴイ!群唱と言うのですね!またひとつ賢くなりました。笑
あれって大勢で言えば良いのかってもんでもなくて,やっぱり違う声帯同士の組み合わせだから,響きが大事だと思うんです。今年関東大会&全国大会で観た神大附属の『恋文』なんかもこの群唱で始まるけど,私あの群唱はあんまりすーっと聞けなくて,むむむーんと思っていたのです。
でも!美須々超キレイに聞こえるんですが!すごいぞ美須々!なんか,昔長野県田川高校がやっていた『神々の国の首都』の出だしや心中シーンを思い出しました。ここは本当に,女子高生の圧がすごいシーンでした…。戦場では一切の比喩は意味を持たないというあたりとか,圧巻でした。そうか。比喩が使えるということは,心や表現や世の中が豊かな証拠なのですね。

本当にいろんな要素がわわわーっと出てきたので,観終わって数日経っている今も消化不良でうぅぅとなっています。
一瞬一瞬はわかるのだけど,つなげたときに「はて?」という感じになっちゃうのは,私のアタマの回転が足りないのだと思います。すごいのは,力が入っているのはわかるのだけど。状況も追えるのだけど。なんだろう。全然ジャンルは違うけど,去年の蟻高に近い感覚を味わっています…。
私はひとの力動が見たいニンゲンなので,シチュエーションで面白くても,やっぱりそこが見たいので,つなげたときに「はて?」ってなっちゃうのかも。一瞬一瞬の画は狙いがあって,それもわかるし,きれいなのだけど。ラストの画とか。

例えば狐の嫁入りは何かなとか。たとえや擬人化で表現に彩があった時代の日本の一部なのかなとか。ニンゲンが化かされる狐の仲間になっていく様子かなとか。オープニングの狐たちのあれは,私達を化かそうとしてるのかなとか。
タイトルも,きれいなタイトルなんだけど,でも何だろうなとか。作中に出てきたいろんな要素を集約したものがタイトルなのだとしたら,まだまだ作品の世界には浸れていないんだろうと思います。
歌も最初出てくるけど,歌ってるのは葉子さんじゃないしなとか。顔を出すってそういうことだと思うので。(でも歌声はとてもきれいでうっとりだった…。よくアカペラで歌えるな~と関心してしまう…。)

そうそう。あと,「言葉が独り歩きしてる」ってせりふが出てくるシーンがあると思うのですが,ただ勝手に載ってるだけで,もう少しその意味が本人の意図以上に援用されているあたりが見れるともっと良かったなーと思います。本人の“そんなつもりじゃ”感とか,どうして個人に宛てた手紙の一部が世に出ているんだという戸惑いなんかがあんまり見えなくて,もったいないなと感じました。

最後に舞台!やー。相変わらず手が込んでいてすごかった…。センターから観たので,葉子さんのベッドの構造が気になりました。どうなってるんだろう~。
奥の方の葉っぱとか,昨年の作品の使いまわしなのかな。ちゃんと道具を使い切っていていいなーとも思いました(・ω・)やっぱり,一作のために全て揃えて終わったらおしまいというのは高校演劇だとかなり大変だと思うので。シャッと開くカーテンも素敵でした。

言葉をめぐるお芝居で,代筆と代筆に挟まれて,世の中のうねりに巻きこまれていく…といういろーんな要素があるもりもりもりだくさんなお芝居だったので,もっとウォーミングアップしてから見るべきでした!やっぱり高校生の皆さんは派手なものが好きみたいなので,終演後の感じからすると(すごかったんだろうなこの舞台)と思いましたが,ほぼアラサーのカサハラさんはまだ飲み込めず,咀嚼はこれからです。が,美須々の本気はよーく伝わってくる舞台でした。飲み込んでないけどおなかいっぱいになる…。そんな舞台でした。
美須々の皆さん,お疲れさまでしたー。

+++

(2015.9.23追記)

はっ!書こうと思ったこと書きそびれた!

その①
章太郎くんのせりふで,「書くことが生きること」みたいなせりふがあったと思うんですが,そこは私もわかるような気がしました。
私の,お芝居とか映画の感想や日々のあれこれを文字にすることもまたそうで。川のように流れる日々にピンを止めておきたいと思って,書くことを続けています。それを,このせりふから思い出しました。

その②
その章太郎くんの衣装がすごいなと思って。
舞台で帽子かぶり続けるって,顔が見えなくなってしまうリスクと天秤にかけると結構な決断だと思うんですよね。
今回センターから観たので比較的章太郎くんの表情はよく観えたんですが,これが上手とか下手とか,上の方の席とかだと情報量は減るだろうなーと思うのです。思い切ったなーって感じました。


(2015.9.26追記)

さらに思い出したことがあるのでつけたし。

後半で,看護婦と編集者?が同一人物だということが決定的になったとこで,(ん?)と思いました。
というのも,このお芝居は「そのほか」のひとたちがいろんな役でコロコロ入れ替わって出てくるところが面白いと思うんですが,看護婦と編集者?をやっていた方はさらに他の役もやっていたと思うんです。麦わら帽子の女の子とか。それは,「同じひとが演じているけど別人格」という舞台の暗黙のルールが通用していたからできたと思うんですが,その2つ(看護婦と編集者?)だけルールから外れていて,なんかすっきりしないなと思いました。ずるいというかなんというか。なんて言えばいいんだろうか。ずるいというか…そうなっちゃうと,(え,じゃあ他のひとは?)ってなるんです。

なのでそこを成立させたいのであれば,看護婦と編集者?役の方はそこだけに絞ってやった方が良いんじゃないかなと思ったりしました。冒頭のダンスとかラストの兵士とかのコロス的な役(ある意味人格がない役)は別に良いと思うんですが,あの2役にプラスして人格のある役も兼ねちゃうと,なんだかな…という印象です。(2役だけにしちゃえば,他のいろんな役をやってるひとと紛れて,パッと見いろんな役をやってる「そのほか」のひとに見えるけど,後で実は違いましたって観客を裏切れるような。気がする。)

文章がすっきりしませんが,ニュアンスが伝わると嬉しいです…。

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