Sunday, February 1, 2015

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 長野県屋代高校演劇班『南京の早春賦』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:小川幸司
潤色:長野県屋代高校演劇班
出演:長野県屋代高校演劇班

この作品を生まれて初めて観たのは2003年。中学生のとき。
そしてアデラや由美子の年齢「17歳」を通り越し,社会人になった20代半ばの2014年。再びこのお芝居を拝見する機会に恵まれました。一つの作品をこーんなに長い期間追ったことはなかったので,(なんだか添い遂げた気分だな!)と勝手に思ってます。笑
通算して今回が5度目の『南京』。内訳は松本深志3回の,屋代2回です。
(ちなみに松本深志が2003年にやったときの感想はこちら。屋代の県大会の感想はこちら。)

そう。5度目の観劇なのですが…
まさかの…

3種類目のラストシーン…!!!(゜д゜)(゜д゜)(゜д゜)

うそーん!
同じ作品で終わり方が3つもあるって,アリなのー!?
これは潤色の範囲に入るのー!?(オロオロ)
…とか思って幕が下りるのを見届けました。笑

いやぁ…衝撃ですよ…。
やっぱり初演のストーリー,初演のキャスト,初演の演出に勝るインパクトはないと思っているので,その上でお読みいただきたいのですが,屋代の県大会公演でアデラ死なない!というのがかなり衝撃的だったのです。
(初演…アデラがこめかみに銃つきつけたところで舞台が暗くなって,引き金引いてる。本気の火薬が入ってるから火花が見える。明るくなったと思ったら死んでる。幕下りる。)

それがガチャっと引いたら弾入ってなーい!誰が抜いたの?私生きる!…というのが屋代の県。
おっとっとそうきたかと思っていたのですが,今回はまさかの

由美子と涛の登場…!
アデラに「ごめんね」って語りかけている!
そしてアデラが私生きる!…になる。

…。

……。

この,初演を観たひととしてはキラキラしすぎでは…。女子女子しすぎでは…。というところが率直な感想でした。
「そう思いたい」「こうなりたかった」というところはとてもわかるのだけど,パンフレットの言葉を借りると“未来への願いをこめ”たいのはわかるのだけど,ううーんというのが私の感想です。
でもそれは全観客の一人の感想に過ぎないのであって,純粋に屋代のこの舞台を初めて観たひととは,見え方映り方は絶対に違います。初演を知っているがためにフィルターがかかっている見方しかできなくて,申し訳ないです…。

でも,ラストシーンがキラキラしていたら,最後に生きる希望っぽいものを感じたら,それが未来につながることになるのでしょうか。
彼女達は生きているうちに自分のやりたいことを語っていたし,女子トークも繰り広げていたし,3人で勉強会とか開いてキャッキャキャッキャしていたし,なんかそれで十分じゃないかなとも思います。その瞬間は確かに,未来や希望が見えた。それで十分なんじゃないかなって。戦争がその夢や希望を,無惨に引き裂いていったよねって。
だけど私がもしこのラストを選ぶひとだったら,どうするかなーとも思います。迷いに迷って決めたラストだったのかな。

県大会のときに,アデラさんの滑舌が気になっていて,(どうなったかな~)と思ってました。
がっ。
なんだか…前回より聞き取りづらくなったような…!?いかんせん前回は11年ぶりに聞くせりふだったので,全神経を集中させてました。私。朝イチだったし,感覚を研ぎ澄ましまくりながら&記憶を埋めよう埋めようと思って聞いてたのは確かだと思います。もしかしたら頭の中で勝手に補足されてたかもしれません。
そして今回は全公演の大トリだったので,観る側の私もぐったりしていて,聴覚がにぶにぶでした。…ので,実際はよくわかりませんが(笑),ま行とから行とか,そのあたりの音がはっきりしていなかったかも…。やっぱり舌が長いのかなという印象もあるので,滑舌をよくするにしてもできることできないことがあるかもしれませんが,素敵なキャストさんなのでじっくり応援できたらなーと思います。

あと県大会のときに,といえばスクリーン&字幕。
今回はどセンターで見たので,字幕が見やすかったですー。県大会のときはどうだったかわからないのですが,ちゃんと窓枠を避けるようにして投映していたのですね!でも文量によってフォントサイズが変わっているように見えたのですがどうでしょう…。サイズが変わると,(そこを強調したいのかな?)とか思うのですが,あのシーンはパパパッとせりふが出るシーンなので,見せようとするには非常にゴチャゴチャしちゃうんじゃないかなーと思います。そういう意図がないのなら,同じフォントサイズで統一した方が見やすいかなーとか。
それから中国語が飛び交う場面で誰が何を言ってるかはっきりしないので,フォントサイズより人によってフォントの色が違う方が,わかりやすかったかもしれません。(←あくまでフォントサイズが違ったら,の話です…)
そのスクリーン&字幕のところ。私の記憶が合っていれば,前はマイムが多かったように思うんですが,今回はちゃんと保護されるひととか救助されるひとが見えたので,二人の活動っぷりがわかってよかったです◎

あとあと銃殺の音。
…うん,県大会のときより,大きくなっていて安心しました。笑
音と動きが若干ずれてる感もしましたが…。あとやっぱり友達が銃殺されてるのに周りは反応薄いんじゃと思いましたが…。(どうなんだろう。声が出なくなるかもしれないけど,目とか肩とか,反射的に体で反応がありそうな気がするんだけど。)

さらにそこと関連して,涛?由美子?どっちかの子の靴が脱げちゃってて,(あぁっ!ハプニング!)と思ったのですが,暗転したらそこがどうなるかなーって期待(?)してました。今回の茅野の『夜長姫と耳男』しかり,舞台に限らず人生にハプニングって絶対つきものだと思うんですが,そこで機転を利かせられるかってその人の技量に入るんだろうな~なんて思ってます。私は経験の量に関わらずうまく利かせられない,不器用なニンゲンです…。(だから余計気になる。)
脱げちゃった靴,隠すならソファの裏にぽいってしても良いだろうし,私はお芝居観てるときはアデラの机に置いてもいいのかなとか思いました(今この文章を打ってるときには,ラジオの横でもいいかなとか)。で,ラストで由美子&涛が出てきたらその靴をアデラが握ってみたりとか…!(わくわく!)(広がる想像の翼)
ある意味形見なので,他人の一部であった物をどう扱うかは,その相手をどう扱うかとほぼ一緒なんだろうと思います。

そうそう。今回観ていてはっとしたところがありました!「春が来ても喜びを感じないだろう(みたいなせりふ)」とか「悲しさも感じない(みたいなせりふ)」のあのシーン!県大会では(え,悲しそうに聞こえるよ!)と思っていたのですが,感情が平板になっていて,徐々に失望というか,望みが擦り切れていってる具合が見えて良かったです。上海のにぎやかさに直面してしまうから,余計に大きなパンチになるんだろうな,アデラ。(時系列逆かも…)


それから。ラストがどうこうではなく,この作品そのものを観ていて,“どうしてアデラは死のうとするのかわからない”ととある人に言われ,長い間ずっと考えてきました。あの夢見るキラキラアメリカンガールが,なんで自死を選ぶのか。

自分が夢見ていたものが叶いっこないこと,その状況に直面したこと
一緒に夢を語って,心から信頼していた友達が殺されたこと,いなくなったこと
自分の力で世界は変えられるって,もしかしたらどこかで思っていたのかな。アデラ。万能感っていうか。
でもそうじゃない。世界のうねりに飲まれる存在の一人に過ぎないことを身をもって知ったし,春は来ないし,来たところで一人であることには変わりないし…。うーん…。「死にたい」より「由美子のところに行きたい」って感じなのかな。そう思うのは日本的かしら。でもジュリエットだってロミオが(パッと見)死んでるの見て死ぬからな。

うーん,書いていても今のところ答えが出ないので,これもまた私の中で,髪の毛を洗いながら考えたいことのひとつに追加しておきたいと思います。


なんかお芝居の感想なのかなんなのかわからなくなってしまいました。すみません…。笑
でも,見届けることができてよかったです。
この作品は部員の皆さんの実情?に合わせて顧問の先生がセレクトされたと県大会で伺っていて,(合わせてこれなのか!チャレンジャーだな先生)と思っていたんですが…講評でその実情が何なのかわかり,そういうことなのかと思いました。バイリンガルな方とかハーフの方とか,私が高校生だったときよりずいぶん増えてる気がします。当時気づかなかっただけかもしれないけど。でもそういうところを生かすお芝居作りって,自分達のカンパニーの特性を知っているからこそできると思うので,屋代のみなさんにとってはいい作品だったのかなと思います。

関東の上演順を知った時に,(一番最後に爆弾が落ちるわ…)と思っていたのですが,ホントにそんな感じでした。2010年代にこの作品を持ってきたことに意義があるんだろうと思います。
大会の運営面もあって大変だったかと思いますが(生徒の実行委員長がキャストだなんて…!),屋代のみなさん,お疲れ様でしたー。そして,もう一度『南京』を観せてくださって,本当にありがとうございました。

No comments :

Post a Comment