Thursday, February 12, 2015

NODA・MAP第19回公演『エッグ』


(公式webサイトより)

@東京芸術劇場

作・演出:野田秀樹
音楽:椎名林檎
美術:堀尾幸男
照明:小川幾雄
衣裳:ひびのこづえ
音響・効果:高都幸男
振付:黒田育世
映像:奥秀太郎
美粧:柘植伊佐夫
舞台監督:瀬﨑将孝

出演:妻夫木聡/深津絵里/仲村トオル/秋山菜津子/大倉孝二/藤井隆/野田秀樹/橋爪功

3年前の初演も観ていた『エッグ』。そのときは“東京オリンピック”という言葉がとても遠くて,それよりも芸劇のリニューアルオープンの方が身近で,それを飾る最初の作品…というふうに観ていました。

お芝居の中には「未来を連れてくる作品」があると言います。
例えば私が最近観たお芝居だと,『トーキョー・スラム・エンジェルス』がいつかそれになるのだと思います。お芝居は決して預言ではないけれど,気づくと「あれ,今の世の中,あの作品の世界のようだ」ってなっているのだと思います。
そしてこの『エッグ』は間違いなく,未来を連れてきた作品だと思います。
もう“東京オリンピック”は遠い言葉ではないし,野田さんが描いている過去はいつか私達が見る未来なのだと感じます。

だから…2020年が来るのが絶望的に思えてくるよね(´▽`)☆

朝日新聞にこの作品のことが書かれていたのを,お芝居を観てから読みました。「スポーツに熱狂する現代の日本人の姿は,戦争に突き進んでいったあの頃の姿に似ている」…といった趣旨の記事だったと記憶しているのですが,本当にそんな感じ。本当にそんな感じ。
スポーツやたった一人のヒーロー・ヒロインが,私達を一つになるような気持ちにさせて,ある一定の方向に動かしていく。そういった世界の動きが見えて,とっても恐ろしかったです。でもそれは本人達が意図的にしているのかと言うとそうではなくて。だからこそ余計,怖い。
阿倍も苺イチエも,ただ好きなことや熱中できるものをやっていただけだったろうに。それがいつの間にか誰かに利用され,結果として誰かを利用する。気づくと「あれっ?」ってなってる。自分がしていることなのに。それがなんとも言えない気持ちになりました。

そうそう。初演のときに苺イチエちゃんのCDを買っていたので,そこから何度も何度も聴いていたし,この日も劇場に向かう間に全トラック2巡してました。笑
歌詞もメロディーも頭にしっかり入った状態で改めてこの作品を観ると,(ここでそれかーーーーーーっ)って曲がいくつもあって,ようやく歌詞の意味がわかったような気がします。
「あなたがいなくなった時間をこれからどうしよう」とか,なんて絶望的なの。きっと私も,人生で一番愛しているひとがこの世からいなくなったら,その日の晩はこの曲が頭の中でかかるんだろうと思いました。

そしてね,私はカーテンコールの曲が超すきなの。初演でこれ聴いて,CD買う決め手になったもん。超カッコイイよね。最近になって,よーーーーーーーーーやく「別れ」のメロディなんだと気づきました。遅すぎる。笑
林檎姉さんの才能を改めて感じます…。

初演のときも思ったけど,鮮やかだよね。
半透明のカーテンが行き交って場面が変わるたび,ロッカーから思いがけない何かが出てくるたび,(あぁ,やられた!)って思いました。鮮やか。どうなってるんだろうとか考える前に,魅了されます。さすが野田さんです。(としか言いようがない)


深津絵里は,やっぱ舞台女優だなと思いました。まぁそんなに映像作品も舞台作品も観たことありませんが…。でも声の艶っぽい感じは生で聞くに限るし,私は深津絵里のちょっと少女っぽい声が好きです。舞台でしか聞けない声だろうなと思います。

妻夫木くんはこの作品以外で舞台やってるのを観たことないので,第一声を聞いて(あれ。これ妻夫木くん!?)って思いました。でもやっぱいい声してるわ!ラストの「彼女は…~して,~~する」のところとか,「満州の夕陽はあまりにも赤い」みたいなせりふはすごく重みを感じました。野田さんも言ってたけど,“普通”ができる役者さんって大事なんだなぁとなんとなく思いました。

そういえば仲村トオルと妻夫木くんって,フィギュアスケートに例えたら髙橋大輔と羽生結弦みたいだなーとも思いました。


「中国」とか「満州」とか,具体的な地名を出して関係性をきっぱり言わなければならないほど,私達って鈍感になったのかな,とこの作品を観て思いました。野田さんの作品はいつもハッキリしているけど,ここまで具体的にハッキリしているのも,珍しいと言えるのかも…。これまであった「普遍的な何か」よりも「ピンポイントの何か」を意識しているのがよくわかりました。
それでもやっぱり噛みごたえのある作品なので,脚本を買おうと思います…。


久しぶりに良質な舞台を観られて幸せでした。秋にチケットが取れて以来,この作品を観るために生き延びてきました。これで2015年は3分の1くらい満足です。←早
再演自体難しいのに,メインキャストがオリジナルメンバーでまた揃うなんて夢のようです。観ることができてほんとーによかった!
まとまらないけどこんな感じ!

そうそう。「過去は逃げ切ったらノスタルジアになれるわよ~!」(みたいなの)が特に強烈に響いたせりふでした。
パリのお客さんはどんな反応するのだろう。気になる!

Sunday, February 1, 2015

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 長野県屋代高校演劇班『南京の早春賦』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:小川幸司
潤色:長野県屋代高校演劇班
出演:長野県屋代高校演劇班

この作品を生まれて初めて観たのは2003年。中学生のとき。
そしてアデラや由美子の年齢「17歳」を通り越し,社会人になった20代半ばの2014年。再びこのお芝居を拝見する機会に恵まれました。一つの作品をこーんなに長い期間追ったことはなかったので,(なんだか添い遂げた気分だな!)と勝手に思ってます。笑
通算して今回が5度目の『南京』。内訳は松本深志3回の,屋代2回です。
(ちなみに松本深志が2003年にやったときの感想はこちら。屋代の県大会の感想はこちら。)

そう。5度目の観劇なのですが…
まさかの…

3種類目のラストシーン…!!!(゜д゜)(゜д゜)(゜д゜)

うそーん!
同じ作品で終わり方が3つもあるって,アリなのー!?
これは潤色の範囲に入るのー!?(オロオロ)
…とか思って幕が下りるのを見届けました。笑

いやぁ…衝撃ですよ…。
やっぱり初演のストーリー,初演のキャスト,初演の演出に勝るインパクトはないと思っているので,その上でお読みいただきたいのですが,屋代の県大会公演でアデラ死なない!というのがかなり衝撃的だったのです。
(初演…アデラがこめかみに銃つきつけたところで舞台が暗くなって,引き金引いてる。本気の火薬が入ってるから火花が見える。明るくなったと思ったら死んでる。幕下りる。)

それがガチャっと引いたら弾入ってなーい!誰が抜いたの?私生きる!…というのが屋代の県。
おっとっとそうきたかと思っていたのですが,今回はまさかの

由美子と涛の登場…!
アデラに「ごめんね」って語りかけている!
そしてアデラが私生きる!…になる。

…。

……。

この,初演を観たひととしてはキラキラしすぎでは…。女子女子しすぎでは…。というところが率直な感想でした。
「そう思いたい」「こうなりたかった」というところはとてもわかるのだけど,パンフレットの言葉を借りると“未来への願いをこめ”たいのはわかるのだけど,ううーんというのが私の感想です。
でもそれは全観客の一人の感想に過ぎないのであって,純粋に屋代のこの舞台を初めて観たひととは,見え方映り方は絶対に違います。初演を知っているがためにフィルターがかかっている見方しかできなくて,申し訳ないです…。

でも,ラストシーンがキラキラしていたら,最後に生きる希望っぽいものを感じたら,それが未来につながることになるのでしょうか。
彼女達は生きているうちに自分のやりたいことを語っていたし,女子トークも繰り広げていたし,3人で勉強会とか開いてキャッキャキャッキャしていたし,なんかそれで十分じゃないかなとも思います。その瞬間は確かに,未来や希望が見えた。それで十分なんじゃないかなって。戦争がその夢や希望を,無惨に引き裂いていったよねって。
だけど私がもしこのラストを選ぶひとだったら,どうするかなーとも思います。迷いに迷って決めたラストだったのかな。

県大会のときに,アデラさんの滑舌が気になっていて,(どうなったかな~)と思ってました。
がっ。
なんだか…前回より聞き取りづらくなったような…!?いかんせん前回は11年ぶりに聞くせりふだったので,全神経を集中させてました。私。朝イチだったし,感覚を研ぎ澄ましまくりながら&記憶を埋めよう埋めようと思って聞いてたのは確かだと思います。もしかしたら頭の中で勝手に補足されてたかもしれません。
そして今回は全公演の大トリだったので,観る側の私もぐったりしていて,聴覚がにぶにぶでした。…ので,実際はよくわかりませんが(笑),ま行とから行とか,そのあたりの音がはっきりしていなかったかも…。やっぱり舌が長いのかなという印象もあるので,滑舌をよくするにしてもできることできないことがあるかもしれませんが,素敵なキャストさんなのでじっくり応援できたらなーと思います。

あと県大会のときに,といえばスクリーン&字幕。
今回はどセンターで見たので,字幕が見やすかったですー。県大会のときはどうだったかわからないのですが,ちゃんと窓枠を避けるようにして投映していたのですね!でも文量によってフォントサイズが変わっているように見えたのですがどうでしょう…。サイズが変わると,(そこを強調したいのかな?)とか思うのですが,あのシーンはパパパッとせりふが出るシーンなので,見せようとするには非常にゴチャゴチャしちゃうんじゃないかなーと思います。そういう意図がないのなら,同じフォントサイズで統一した方が見やすいかなーとか。
それから中国語が飛び交う場面で誰が何を言ってるかはっきりしないので,フォントサイズより人によってフォントの色が違う方が,わかりやすかったかもしれません。(←あくまでフォントサイズが違ったら,の話です…)
そのスクリーン&字幕のところ。私の記憶が合っていれば,前はマイムが多かったように思うんですが,今回はちゃんと保護されるひととか救助されるひとが見えたので,二人の活動っぷりがわかってよかったです◎

あとあと銃殺の音。
…うん,県大会のときより,大きくなっていて安心しました。笑
音と動きが若干ずれてる感もしましたが…。あとやっぱり友達が銃殺されてるのに周りは反応薄いんじゃと思いましたが…。(どうなんだろう。声が出なくなるかもしれないけど,目とか肩とか,反射的に体で反応がありそうな気がするんだけど。)

さらにそこと関連して,涛?由美子?どっちかの子の靴が脱げちゃってて,(あぁっ!ハプニング!)と思ったのですが,暗転したらそこがどうなるかなーって期待(?)してました。今回の茅野の『夜長姫と耳男』しかり,舞台に限らず人生にハプニングって絶対つきものだと思うんですが,そこで機転を利かせられるかってその人の技量に入るんだろうな~なんて思ってます。私は経験の量に関わらずうまく利かせられない,不器用なニンゲンです…。(だから余計気になる。)
脱げちゃった靴,隠すならソファの裏にぽいってしても良いだろうし,私はお芝居観てるときはアデラの机に置いてもいいのかなとか思いました(今この文章を打ってるときには,ラジオの横でもいいかなとか)。で,ラストで由美子&涛が出てきたらその靴をアデラが握ってみたりとか…!(わくわく!)(広がる想像の翼)
ある意味形見なので,他人の一部であった物をどう扱うかは,その相手をどう扱うかとほぼ一緒なんだろうと思います。

そうそう。今回観ていてはっとしたところがありました!「春が来ても喜びを感じないだろう(みたいなせりふ)」とか「悲しさも感じない(みたいなせりふ)」のあのシーン!県大会では(え,悲しそうに聞こえるよ!)と思っていたのですが,感情が平板になっていて,徐々に失望というか,望みが擦り切れていってる具合が見えて良かったです。上海のにぎやかさに直面してしまうから,余計に大きなパンチになるんだろうな,アデラ。(時系列逆かも…)


それから。ラストがどうこうではなく,この作品そのものを観ていて,“どうしてアデラは死のうとするのかわからない”ととある人に言われ,長い間ずっと考えてきました。あの夢見るキラキラアメリカンガールが,なんで自死を選ぶのか。

自分が夢見ていたものが叶いっこないこと,その状況に直面したこと
一緒に夢を語って,心から信頼していた友達が殺されたこと,いなくなったこと
自分の力で世界は変えられるって,もしかしたらどこかで思っていたのかな。アデラ。万能感っていうか。
でもそうじゃない。世界のうねりに飲まれる存在の一人に過ぎないことを身をもって知ったし,春は来ないし,来たところで一人であることには変わりないし…。うーん…。「死にたい」より「由美子のところに行きたい」って感じなのかな。そう思うのは日本的かしら。でもジュリエットだってロミオが(パッと見)死んでるの見て死ぬからな。

うーん,書いていても今のところ答えが出ないので,これもまた私の中で,髪の毛を洗いながら考えたいことのひとつに追加しておきたいと思います。


なんかお芝居の感想なのかなんなのかわからなくなってしまいました。すみません…。笑
でも,見届けることができてよかったです。
この作品は部員の皆さんの実情?に合わせて顧問の先生がセレクトされたと県大会で伺っていて,(合わせてこれなのか!チャレンジャーだな先生)と思っていたんですが…講評でその実情が何なのかわかり,そういうことなのかと思いました。バイリンガルな方とかハーフの方とか,私が高校生だったときよりずいぶん増えてる気がします。当時気づかなかっただけかもしれないけど。でもそういうところを生かすお芝居作りって,自分達のカンパニーの特性を知っているからこそできると思うので,屋代のみなさんにとってはいい作品だったのかなと思います。

関東の上演順を知った時に,(一番最後に爆弾が落ちるわ…)と思っていたのですが,ホントにそんな感じでした。2010年代にこの作品を持ってきたことに意義があるんだろうと思います。
大会の運営面もあって大変だったかと思いますが(生徒の実行委員長がキャストだなんて…!),屋代のみなさん,お疲れ様でしたー。そして,もう一度『南京』を観せてくださって,本当にありがとうございました。

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 長野県松川高校演劇部『べいべー』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:青山一也
潤色:長野県松川高校演劇部
出演:長野県松川高校演劇部

県大会で観た時,(全部持っていかれた…)と感じた松川高校の『べいべー』。あれから3ヵ月。一週間前には自主公演も打たれていて,どんな風に成長されているかとっても楽しみでした!(ちなみに県大会の感想はこちら)。

県大会の幕間講評では,舞台の上下にあった六角形の…オブジェ(?)について講師の先生から指摘されていたので,ここは絶対変えてくるんだろうなと思っていました。
幕が開いて注目してみると…六角形が,球体に!
後々出てくるもも&たかし&さくら&かりんそれぞれのイメージカラーの球体が上下に2つずつ。ぱっと見てすぐ,たまごだなー。卵子だなー。ほわほわ感だなー。って感じました。それがみょーんって奥の…オブジェ(??)とリボンみたいなものでつながっていて。全体的にカーブしてるラインが多くて,優しい印象を受けました。

なんかもう,一度観ているのでストーリー面ではワクワク感はなかったのですが,前回より近く&センターで観たら新たな発見があって,ワクワクできました!
それは…さくらちゃん!
へその緒が絡まってたエピソードが後で出てきますが,ちゃんと本当に首に痕があるではありませんか!細かいなぁ~と思って,感激しました(*゜▽゜*)きっと後ろの席から観たら,あってもなくても同じなのだろうけど,ちゃんと作り込んでいることが見えて…なんというか,嬉しい気持ちになりました。

あ,ワクワクではないけど,(あれ?県大会ってどうだったっけ?)って思うところがありました。
たかしともものオムツのシーン。あの効果音ってありました…っけ!?もうどうだったか忘れちゃいました。あんなにインパクトがあるシーンなのに…!
県大会の茅野でも思いましたが,そういう効果音や楽曲で笑いを取れるってすごく高度だと思うのですごいです…。視覚的にも聴覚的にも,一度観ているのにやっぱり度肝を抜かれました。笑

この舞台を観ていると,「笑っちゃう」とか「面白い」って,せりふによるところだけではないんだなーと改めて思います。たとえばさくらちゃんがたばこを「ふん!」とへし折って,ドタドタ寝床に戻って,何事もなかったかのようにぱっと眠りにつくところ。そういう間とか態度の豹変っぷりとか,本人はいたってマジメなのに,周りから見るとそれがかえって面白かったりとか。そういう空気感とか,ノンバーバルな面を楽しめるのがお芝居なんだよな~と,改めて感じました。

アンサンブル力がある,と講評でコメントがありました。うんうん。よくわかります。けんたの「さあ僕の胸に飛び込んでおいで」の4人のべいべー達の動きとか,相当狙ってこれになってるんだろうなーというのが今回よーくわかりました。4人の表情が見えるようなポージングだったり位置取りだったりをきちんとされていて,「!!」ってなりました。過剰さを感じないのにさらりと決まっているのは,演出の力なんだろうなーと思います。
あと,たかしくんのプロポーションをセンターでお楽しみたいな(笑)と思って,今回はどセンターを確保していたのですが…センターって,ちゃんとお芝居を観るためにはやっぱ一番良いポジションであることを再認!(笑)

そうだ。講評といえば,あともうふたつ。
1個目は,「せりふから舞台上にいない親を想像できた」というもの。そう言われて(私もそうだー!)ってなりました。自然すぎて,気づきませんでした。笑
やっぱりお芝居って想像力で魅せるものでもあると思うのですが,『べいべー』は4人の向こうにそれぞれの両親がいることが思い描けたんです。もちろんせりふが良い・台本が良いのかもしれないけれど,それをうまく調理したキャストの力が大きなものだったんだろうなぁと思います。想像する楽しみを観客に与えるということができた時点で,この舞台は成功しているんだろうなぁ。

2個目は,「芝居のテンポが安定している」こと。県大会でも言われていたの…かな?
そもそもこの言葉ってほめてるんですかケチつけてるんですかどっちですか…?
これだけ聞くと,(え,安定してちゃいけないの?)って思います。ただでさえアマチュアの高校生がやるお芝居なんだから。安定にたどり着くこと自体難しいんだから。高校演劇には未熟さが求められるのですか…!?(究極)
安心して観られるという意味ではとても良いことだと思います。安定って。
でも「安定すること」と「役者が慣れてしまうこと」は別物だろうなって思います。稽古を重ねて,相手の次のせりふが自分の体にしみこんで,「今ここ」で起きていることに対しての反応ができなくなってしまうようでは,だめなんだろうなと思います。でも私は,今回そこまでは感じませんでした。

ところで…今2月でしょ。で,全国って半年後でしょ。そこまでひとつの作品を温めるのって精神的にも本当に大変だろうなーと思います。「再演」という感覚ではないだろうし,でも今のキャストスタッフがまるまる続けられる訳でもない。どうやって気持ちも含めてキープしていくかがどこも課題になるのかなぁなんて勝手に思ってます。
この作品に関して言えば,キャストスタッフをシャッフルしてどこかで公演してみるのも面白いんじゃないかな~と,これまた勝手に想像しています。スタッフも含めてシャッフルして,自己演出とかお遊び気分で楽しく再構成するのです。…楽しそう!新たな発見がありそう!(あくまで私のアタマの中の話)

はっ,お芝居の話に戻ります!最後の最後なんですが,県大会ではステンドグラスの方に照明が行ってしまって,べいべー達はほとんど見えなかったんです。しかし今回は!後ろ姿にうっすら照明が当たっていて,(あぁよかったー)って思いました。笑
作新の『発足!復興委員会』で共同注視の話をしましたが,やっぱり誰かが何かを見ている視線は追いたくなるし,一緒に同じものを見ていることを共有したいなと思うので。

3年生の方が何人かいらっしゃるので,今の松川のスペシャルメンバーで作る『べいべー』はこれが最後だと思うと,また観に来た甲斐がありました。十分元が取れたし,おつりが出る勢いです。



ちなみにこのお芝居の後に,松川の演劇部を復活(?)させた小川先生にお会いすることができましたー!先生は部を再建する際にこのお芝居に取り組まれていたのです。私は松本深志の『ベルゲン・ベルゼンの空の下で』とか『南京の早春賦』を観て育ったので,小川先生×コメディなんて全っ然想像つかなかったんですが…

「復活させるときは,楽しいものに取り組んでモチベーションを上げないとね」

みたいなお言葉を聞き,ほほー!(゜O゜)と思いました。そうですね…。顧問の先生だったり部長だったり演出だったり,何かを提案する側のひとの中にやりたいことがあっても,出す順番があるよなぁなんて思いました。(だから新歓は在校生の好きなものをやるんじゃなくて,新入生が観て楽しいものを作るに限ると個人的に思っている。)
叶うものなら,小川先生版の『べいべー』も,観てみたかったな…。


はいっ,そんな感じです。
改めて,全国への出場おめでとうございます。2年連続なんて!長野県の快挙じゃないですか!
私はずっと,(関東まで行けても全国に行くのはやっぱり「常連」と言われるあんな高校やこんな高校なんだな)なんてうっすら思って生きてきましたが(笑),そうじゃない時代が来たのかもしれません。長野県も,ちゃんと全国に通用するんだ!ということがこの結果から実感できて,とても嬉しく思います。
それから,松川は南北合わせて選出される枠での出場決定なのですが,南で優秀賞を獲得した4作品は全て観ているので…その中から選ばれたので,本当にすごいなーと思っています。ぜひ,楽しんでお芝居してきてください。
松川のみなさん,お疲れさまでしたー!

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 神奈川大学附属中・高校演劇部『恋文』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:小林友哉
潤色:大庭陽一&演劇部
出演:神奈川大学附属中・高校演劇部

もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

やられました。南で浜松海の星高校『大正ガールズエクスプレス』にやられた!と思ったのですが,北関東ではこの学校に,してやられました。笑

こんな2010年代に,こんな直球ストレートのお芝居があることにびっくりしました。現実にこんなことあるもんか,とかそういうことは全く考えず,とにかくこの世界にどっぷり浸かれた60分間でした。

と同時に,既成にも関わらずまるで今回のキャストの皆さんのために当て書きされたような作品だったので,さらにびっくり。
14人も登場人物がいるのに,一人一人キャラクターが立っていてとても見やすかったです。“台本を使って自分達を見せる術”を知っているな…!と率直に思いました。

見やすかった要因に,「見た目」があると思います。たとえば中学生と高校生でスカートの柄やリボン・ネクタイが違うだけで,(あぁ同じ敷地にいても先輩後輩だな)というのが一目でわかったり,双子コーデをしている二人を見るだけで関係性がわかる。衣装のセンスがとっても良いなーと思いました。(双子コーデの二人がちゃんと学園祭になっても色を引き継いでいて,キャラがぶれないという意味でとても良いと思った!)

それからテンポ。とにかくいろんな人がいろんなところに出はけしている舞台なんですが,微妙なタイミングですれ違って場面が切り替わっていて…。無駄がないし,(そうそう。人生ってこういう些細なズレやすれ違いの積み重ねだわ~)と思えたし,抵抗なくスッと観ることができました。あの疾走感が,とても気持ち良かったです。

速報あんずっこによると,普段の稽古では顔の筋肉をほぐして表情を豊かにするために顔面体操をされているのだとか…。その成果がすごーく出ていたなぁと思います。今回南も含めて関東大会を観てきましたが,「声は出てるのに表情がついてこない」というお芝居をちょこちょこ観てきました。せりふだけ聞けば感動するのに,それに伴うはずの表情がなくて,視覚的に残念…!と思えてしまうところがいくつかあったんです。
しかーし!神大附属はそんなことなく!というか皆さんとってもイキイキしていて,観ていて心が躍りました。表情をつけたくても,ベースである表情筋がしなやかでないと顔って作れないと思うので,普段の努力の賜物なんだろうなぁと思って観ていました。本当に,楽しそうにお芝居されている皆さんを観てはわぁ~ってなってました。私。笑
(みんな表情が良かったけど,一番キュンとしたのはやはり昴ちゃん…!)

後半の方で誰かが誰かを追いかけて,それをさらに別の誰かが追いかけて…下手でドッタバタドッタバタするところがあると思うんですが,あれが本気に見えてとても良かったです。体ぐいーって引っ張られちゃうところとか。中途半端だと,(あ。手加減してますね)っていうのが見えて「嘘」が伝わって来てしまうんですが,そんなことなく!
環が昴ちゃんをギュッとするのも,もろもろ含めて「潔い芝居」だったなと思います。

ただ一つ(あ。)と思ったのが,いっちばん最初の,女の子達が後ろ向きに“恋文”を読み上げるところ。おひとりおひとりの声はとても素敵なのに,ケンカしているというか…重ねて聞くと,あんまりクリアに聞こえなかったんです。(←私の耳では,です。あくまで。感覚の話なので,響き方は人それぞれ!)
そこがキレイに聴こえると,さらにワクワク感上がっただろうなと思います。(その後十分上がりましたが…)


2010年代に入って関東大会に行くのが初めてだったので,南との交流が始まってたなんて知りませんでした。埼玉長野新潟群馬栃木という海なし県or日本海の荒波を受けて生活している高校の中に,ぽーんと浜っ子の爽やかな風が吹いてきた…!かっさらっていった…!と本気で思いました。本当に,刺激的でした…。これで南関東と合わせて,神奈川県の高校演劇を2校拝見したので,自分なりの神奈川県観が見えてきたような気がします。笑

全国出場,おめでとうございます。年度をまたぐので全国ではキャストさんが替わってしまうかもと思うと,この関東で神大附属の『恋文』を観られて良かったです。あ,今更ですが,『恋文』ってタイトルが好きです。笑 全国大会でも,のびのびとしたお芝居ができますよう。
神大附属のみなさん,お疲れ様でしたー!

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 新潟県立六日町高校演劇部『ここは六日町あたり』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:渡辺健太郎
出演:新潟県立六日町高校演劇部

これで新潟県の高校演劇を観るのは4作目。タイトルに『六日町』と,学校名と同じ地名を引っ張ってきているだけあって,とってもローカルなお芝居でした。
幕が下りていくときに…いや下りる前から…「純朴」という単語が私のアタマにぴったりくっついていました。南魚沼のコシヒカリのようにすくすく育っている…!そんな雰囲気がお芝居から伝わってきました。本当に,この地に根付いて生きているひとたちだからこそ作れたお芝居なんだろうな,と。

ただ残念だったのは,縁側のスペースを確保すべく舞台全体が奥に行ってしまったようで,室内の会話やさらにその奥の廊下から出てくるせりふが聞き取りづらかったこと!お腹からしっかり声が出ている方が少なかった(ように聞こえた)のもあるかもしれませんが,物理的に遠すぎたかな…と思います。やっぱりせりふが聞こえないと,お芝居として成立しなくなっちゃうと思うのでもったいなかったです。

田舎・実家に残るひと,実家や故郷から抜け出し都会に出ていくひと。私は後者なので「家のこと全然考えてない」ってせりふはちくっとしました。私も親なんかと話していると(近くに娘が住んでるのって親からしたら心強いんだろうな~)と思うし,その場に住んでいるという行為が「大事にしている」「考えて行動してる」ことになるのかなと思うとわかりやすい「大事」の仕方だなって思います。
だけど私は地元で育ったからこそ,大切なひとに大事にされたからこそ,外に出て,自分の目指すものを実現させることがそのひとを大切にすることだと思って上京しました。何をもって「家族を大事にするのか」「家のことを考えるのか」って難しいなァとしみじみ思いました。特にこの南雲家は自営だから,余計その土地で,自分達で背負わなければいけないものが多いんだろうな。

そうそう。先生が家庭訪問するときの服装について,講評でつっこまれていましたが,私は違和感なく見られたので,長野県のDNAを持っているなと改めて感じました…(笑)。つまり,ポロシャツで行ったりジーンズで家庭訪問してもそれが“当たり前”の地域なんだろうなと。スーツだと逆に浮く文化なんだろうなと。だって表のピンポンで反応がなかったら,良くも悪くも遠慮なく縁側に回ってきちゃってOKな地域なんだから。これはこれでアリなんだろうなと思いました。

わたわた準備したり,あの先輩のこと好きだなとか,フラれてびやーーーーーっとなっちゃうあたりは,この前の週に観た神奈川県立湘南高校定時制の『さよなら小宮くん』を連想しました。思わず(え,デジャヴュ…!?)と思っちゃいました。笑 女子高生の「好き」の気持ちが止まらなくて駆け出してしまうのは,どこに生きていても一緒なんだなと思います…。

「ここは六日町あたり」という曲があるの,初めて知りました。曲から出発した作品なのか何なのかはわかりませんが,全部聴いてみたいなーなんて思いました。
六日町のみなさん,お疲れさまでしたー。

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 作新学院高校演劇部『発足!復興委員会』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:野口夏実
出演:作新学院高校演劇部

作新といえば私が現役の頃から有名で…いやそれより前からおそらく有名だったんですが,とにかくそのせいで(?),10年前に私はここの作品を観た気になっていました。パンフレットの過去の記録を見て,(あ,観てなかった)と気づきました。笑

実は関東大会の前に,たまたまTwitterでどこかの学校のすんごい舞台セットの写真を見ていたんですが,幕が上がった瞬間(ここだったんだー!)とわかってテンションが上がりました。
ななな,なんなんだ作新!リアルすぎる!特にドアの質感!ドアの質感!!!(大事なことなので2回)
今年度の長野県でも,松本美須々ヶ丘高校『B面セレナーデ純情奇譚』で横開きのドアがあり,おうちの雰囲気がかなり出ていたなーと思ったものです。ドアである程度その空間がどんなグレードなのかがある程度わかるな~と感じました。
でも作新はそれを上回るというか…ほんとにどっかのおうちから一階部分を持ってきたんですかと聞きたくなってしまうくらいのリアル感で,圧倒されました。あれを20分で撤去して次の学校が立て込んでると思うと…スゴイの一言。

パンフレットにも書いてあるようにすごく大きな何かがあるわけではないし,居間以外で物語が進むわけではないのだけれど,でもこれが世の中に生きる大半のひとの日常なんだろうなと思うと,連続体である日々の切り取りとクローズアップの仕方が素敵な舞台だなと思いました。

なぜおばあちゃんは土偶を…。大事なものにしても,なぜその(設定の)セレクトが土偶だったんだ…と思ったんですが,それもある意味私達の日常をリアルに写し取ってるんだろうなと,今は思います。他人にとっては共感しづらいものでも,当人にとっては本当に大事なもので溢れてるんだろうな。世の中。きっと我が家も実家のタンスとか開くと,そういうものだらけなんだと思います。笑
だからお兄ちゃんは自分にとってはどうでもいいものでお金を作ろうとするし,おばあちゃんは心臓が切り裂かれるような思いになるんだろうな。

そうそう。これだけ舞台セットがリアルなのに,時計は動かないんだな~と思って見てました。舞台上に流れる時間と本当の時間にはズレが出るだろうから,(演出の都合かなぁ)なんて見てたら,本当に止まってる設定だったので,納得。
“壁掛け時計”っていうところが,良いよね。
現代ですから,各々携帯電話を持っているから壁掛け時計なんてなくてもいい。家族全員が同じものを注視する必要がない。家族全員で,“同じ”を見るものが,ない。
職業柄,「共同注視」をいう言葉を思い出しました。赤ちゃんってまず,目の前の母親と視線を合わせて関係を成立させる。で,そのあと赤ちゃんが別のものを指さして,母親がその指さすものを追って,同じものを見る。それによって二者関係から三項関係に移行できる。外界と関わりを持てる。だけどこの家族の中には,“同じ”を見るものが,ない。象徴的で,すごくよかったです。

だから最後はどうなるんだろうと思っていたけど,また針が動き出して安心しました。「家族の時間が止まってた。それがまた動き出した」のではなく,それぞれ進めていたけれど,家族というイニシアチブを取り戻したのかなーっという印象を受けました。

お芝居のことで言うと,みなさんよく声は出ているのに,表情があんまりついてきてないような…そんな感じがしました。もう少し表情を見たいのになーって。なんだろう。まゆかな…。まゆが動いてないのかな…。
あと,父親とお兄ちゃんのガチバトル。良かったのだけど,もっと本気でいけるんじゃないかと私は期待してしまいました。笑 だって父親と息子ですもの。それこそ壺がひとつ割れる勢い(あくまで勢い)で,ぶつかってほしかったなーなんて思います。

それでは,秩父○工の皆さんとの合コン,楽しんできてください(違)。
私立の質感リッチなお芝居を観られて,とても刺激的でした…。世の中にはこんな高校もあるのだなぁと,新しい高校の作品を観るたび思います。有名有名と言われている学校の作品を今回拝見でき,とても満足です。
作新のみなさん,お疲れ様でしたー。