Saturday, January 23, 2016

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 埼玉県立芸術総合高校演劇部『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:オノマリコ
出演:埼玉県立芸術総合高校演劇部

11校中,私が一番期待していた学校はここでした。だってだってだって,この作品をやるなんて!!!!!

この作品,昨年シアタートラムでやっていて,駅でポスターを見かけるたび素敵~と思っていたのに機会を逃してしまっていたのです…。

ちなみに素敵だったフライヤー兼ポスターがこちら。
印象的ー。

それを!高校の演劇部がやるなんて!しかも芸術系の高校がやるなんて!…と,激しく期待していたのです。

観てみて→
オリジナルを観なかったことを,激しく後悔しました。

もちろんオリジナルはオリジナル,芸術総合は芸術総合なんだけど,芸術総合がハイレベルすぎて。このオリジナルって一体どんななの,と…。
SNSで,「芸術総合が仮にオリジナルの完コピでも,それでもいい」みたいなコメントを書いてるひとがいましたが,私も同感です。いやー,なんか。ほんと。専門学校の卒業公演と思って観ても全然違和感なかったです。(ほめてる。)
私は大学生になってちゃんと(といっても年に数本)コンポラを観るようになったのですが,なんかそんな要素もあって。ふわふわした羽のような,でもきちんとしなやかさがある彼女達の身体はとっても身軽で。私の好きな身体表現でした。うっとり。

そうそう。この作品も,講評が印象的でしたよね。(誰かへの同意を求めてみる。)
「敬虔」なのに「神を信じてない」とか,
「奔放」なのに「まじめで乙女」とか,
「癇癪」なのに「静か」とか。
“たった一人であり,全体である”という先生の表現が,とても印象に残りました。
さっきのフライヤー画像を探すためにググっていたのですが,他でもいろいろと上演されているのですね。中にはオリジナルや芸術総合みたいに白っぽい衣装でやっているところもあれば,一人ひとり有彩色の個性的な服に身を包んでいたり。でもやっぱ,あの講評を聞いてしまうと白以外は選択肢としてなくなってしまうなぁなんて思いもあります。

なんか本当に,女子大生として素敵な大学でスタートを切って,社会化していく一人ひとりと全体のキラキラ感が衣装や照明から伝わって来て,良かったなぁ。大人になってしまった今だから,余計キラキラ見えてしまう…。もし私も東女に入れたなら,あんな瑞々しくて素敵な時間が過ごせたのかしらと,ふわ~っと妄想を広げてしまいます。笑
余談ですが,私は東女のひとでもなんでもないけど,実は修士とか受けたことがあるのよね…。もうその頃にはこの体育館はなかったはずなんだけど。でもあの敷地の,他の大学とは違う特別感というか,厳かであり開放的であり東女というステータスのあるあの場所の空気感には,あこがれのようなものを感じました。

そう。照明が美しくてついつい見てしまいましたー。あの,冒頭とかラストらへんに組み込まれている,全員が舞台の下手上を見上げて光が降り注いでいるあのシーンとか。たまらないですね。
でもなんか,○○が「飴玉!」とか「息吹!」とか預言めいた言葉を言ってSSが入るあのシーンは,繰り返せば繰り返す程,なんだか変な意味で面白く感じてしまって,(ぬぬ…!?)と思ったりしたけど。なんだろう。あれ…。

あとパンフレットが素敵ですよね。大会のパンフレット。写真の仲良し感も素敵だし,「上演にあたって」の言葉もビビッときました。センスが素敵…。そしてスタッフさんの中に制作さんがいるのが素敵…。大事ですね,制作。

なんか作品のことは全然書いてない気がするけど,私の言葉の表現ではうまく伝えられないということです…。でも本当に拝見できてよかったー。ここが最優秀という結果も納得です。ハイレベルでスタイリッシュ。部員さんは多少の入れ替えが発生してしまうと思いますが,全国大会も観られたらいいなーと思っています。
芸術総合の皆さん,お疲れさまでしたー。そして全国大会出場おめでとうございます!広島でこの鮮やかさを魅せつけてきてほしいと思います!笑

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 作新学院高校演劇部『ここにいること』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:野口夏実
出演:作新学院高校演劇部

昨年の関東大会に続いて作新のお芝居を拝見しました。あれですね。昨年の『発足!復興委員会』と同じ学校だと思うと,人と人との繋がりへの関心が大きいカンパニーさんなのかなって気がしますね。

タイトルをぱっと見て,思わずAKB48の3枚目のアルバムのジャケット写真が思い浮かびましたが,全く違いました。全く。笑

この作品を観てというより,「合唱が好きなのか,合唱部が好きなのか,この違いに気づけるか」という講師の先生の講評を聞いて,この話の“そもそも”はここかー。とようやく気づきました。同時に自分自身に対する理解も深まりました。笑
私ももちろんお芝居は好きだったけど,演劇か演劇部かというとどちらかというと演劇部が好きだったのかもしれません。だから自分の進路を考えるときに,お芝居の道なんて一切考えたことがなく,高3の授業も,大学で日本文学をやるなら日本史を6時間取るべきだし,教育学をやるなら世界史を6時間取りたい…で悩んでいました。なんか,そういう悩み方。
あと現役時代,私が朝練係だったこともあって,「7時50分までには部室からタンバリンとラジカセを持って格技室にいなければ!」みたいな思いが強かったなーということも思い出しました。朝練なんてお芝居の稽古をするわけでもなんでもなくて体を動かすことがメインだったから,正直出なくてもお芝居を作ることそのものには何ら影響なかったな…と今思えばわかるんですけど,当時の私は(朝練に来ないなんて!)と先輩同期後輩に対して内心ぐつぐつ思っていたのでした。「部活の枠」を守ることに必死だったのだろうと思います。

そう思うと,マコちゃんはまさに「部活の枠」を守ろうと孤軍奮闘していて,次第に合唱が好きな子達と対立してしまう。お互いに正しいと思うことが衝突するってこういうことだろうなーと思うと,お互いが大事にしたい信念(みたいなもの)と,そのために取っている行動が何なのかということをわかろうとしなければ,平行線のままになってしまうのだろうと思います。

なのでマコちゃんがキーキーしている姿を見ると,(あぁぁぁ…!)とアワアワしてしまいました。多分マコちゃん的には合唱を楽しくやりたいひとたちは「部員」として見るとたるんでいるように見えて,合唱を楽しくやりたいひとたち的にはマコ先輩超ヒステリーなんだけど…みたいに見えちゃうんだろうと思います。
できればお互いのズレに当事者達が気づけて修復していけたらお話的にも優秀(あえてこの表現)なんでしょうけど,そこは一歩引いた3年の先輩が助け舟を出してくれたと言う感じなのかな。でも,メール一通で解決に向かえるくらい単純なものなのかなとか,一通でそのキーキーと楽しくやりたいが和解できると思うと,この芝居は何だったんだ感も若干あって,メールならメールを踏まえて本人達の思いを聞きたかったなぁという感じもしました。言葉なしで繋がり合えるのが合唱と言われたらそこまでなのだけど…。

あと私はあの舞台セットの箱は面白いなぁと思って見てました。いろんなものに使える・見えるって,多分私も好きな使い方です。でもその箱一個だからこそ,何色にするかって結構重要なんだろうなと思います。多分どの色にしてもつっこまれるし,正解はないと思うんですけど,あの水色は単純にキレイだったなぁと思います。台所に行く(はずな)のに階段を下っていくのは「アレ?」って感じもしましたけど。笑 でもってもう少し,上手でもお芝居が生まれるといいなぁと思いました。全体的に下手に寄っている気がしたので。

今どきの言葉で表現すると講師の先生が仰っていた「部活あるある」なお話だと思うのですが,もっといろんな考えのひとがいていいだろうし,部長の思いを汲もうとするひとが内部にいてもいいだろうし,人の数だけ力動があると思うともっと細やかな描写ができそうなお芝居だろうなー!と思いました。稽古を重ねていくとリアルな自分達と重なってくるところもあってイヤになりそうな気がしなくもないですが,練り直せたらもっと分厚い作品になるんだろうなと思いました。

はっ。そして最後にタイトル…!タイトルはやはり全体を集約したり中身を表現するようなものであってほしいなと思うのですが,ちょっとぼんやりしすぎていて,うぅーんという印象がしなくもなかったです。AKBなら「“ここ”って秋葉原の劇場ね!」とかって想像がつくのですが,作新の場合「“部活”にいること」と置き換えると…。うううーん…という気持ちです。タイトルって難しいけど,センスが試されるなぁと常々思います。

この作品を通して,この年になって改めて自分への理解が深まりました。笑
作新学院の皆さん,お疲れさまでしたー!

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 栃木県立宇都宮女子高校演劇部『去年を抱きしめてニューイヤー』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:小池志織
出演:栃木県立宇都宮女子高校演劇部

初!宇都宮女子!この記事を書くために,演劇部なのか演劇クラブなのか確かめるべく高校のwebサイトを確認したのですが,宇都宮女子高校って公立高校では最も歴史が古いんだとか…。おぉぉ…。また一つ賢くなりました。笑

さてこのお芝居。すんごい主観なのですが,今年度全国大会で最優秀を取った,大分県立大分豊府高校演劇部の『うさみくんのお姉ちゃん』を連想させるようなわちゃわちゃ感がありました。場転なしで話が進んで,60分経ったときに登場人物達の気持ちがなんだかちょっと変わっていて,観ている側としてはほっこり出来る感じ。そこが。観てて楽しかったですー。

とりあえず年越し系(?)のお芝居ということはわかっていたのですが,幕が開いてびっくり!
私,プロアマ高校演劇問わず,舞台でエレベーターが出てきたの,初めて観ました!!!!!
すっごい!しかも,めっちゃ手動!!!(多分エレベーター扉の横でスライドさせている人がいる!笑)この質感に,まずやられました。笑

そう。このお芝居,質感がとても好きでした。緑のたぬきとか,ちゃんと中身入ってる(ように見える)し。配管とか。門松の竹とか。本物があるだけで,舞台が本当に落ち着いて見えました。マンションも今どきの…というよりは,90年代くらいに建ったんだろうなーと適度にくたびれてる感じがあって,そこがまた栃木っぽくて(←失礼だったらスミマセン。良い意味で都会っぽくないという意味です)素敵でした。
ただ,講評のときに舞台美術の伊藤先生から「配管はパネルとパネルのつなぎ目に配置すればよかったのに」という一言は目から鱗というか(そんなやり方があるのかー!)と,非常に新鮮な情報でした。いやー。今後使えそうな知識です…。使える場所があるかは別として。笑

平田オリザさんの『わかりあえないことから』を読んで以来,私はマイクロスリップ(えっと,あの,その,あれだよね…みたいなやつ。必要な情報の他に出てくる,人間らしい音声。)というものを意識してせりふを聞くようになったのだけど,宇都宮女子のお芝居は心地良いスリップがたくさんあって,なんというか,人間の温度が感じられるようなお芝居でした。特に作者さんが演じていらっしゃったタカジョウさんが私は魅力的だなーと思って,この方すんごいマルチだなと感じました…。お芝居作れて演じられるひとって,ホントにいるんだなと…。

観ていて,栃木も十分関東だよと上京当時は思っていたのですが,なんとなくそうでもないのかなという気もしてきたここ数年。私は長野県から東京に憧れ上京した田舎者ですが,栃木もそんな感じがあるのかな。
「東京じゃなきゃだめなの?」みたいなせりふはすごーい,ものすごーーーーーい,しみました…。カサハラさんも人生の迷子の一人です。笑
私も高校の先輩と地元で飲み会を開くたびに,「カサハラにはまだ東京で頑張っていてほしい」と言われます。やっぱり自分にとって大切な人が期待してくれるのは嬉しいし,その期待に応えたいと思うし,再会したときに相手にとって“会って嬉しいひと”でいたいと思う。だからきっと,夢が破れて地元に帰るというのは,自分の夢を諦めると同時に周りの大切なひとの期待を裏切ってしまう気持ちになるというか,そういう意味合いもある気がして。そしてその状況を自分自身で受け入れるのが難しくてアリサちゃんは嘘をついてしまったんだろうと思うと切ない限りです…。「東京じゃ…」という場所の問題というより,そういうものなんだろうと思います。なんとなく,2014年に観た映画の『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を思い出しました。

あれだけ時間かけてるのに,門松ができないのは本当に歯がゆかったです。出来途中の門松がボロッと崩れるたび,何度(あぁーっ!)と思ったことか。笑
出来上がったらお芝居が終わっちゃうことはわかっているんだけども,またか!またか!と,若干心が挫けそうになりました。でもこのうまくいかなさこそ人生なのだと思います…(壮大)

あと細かいところとして,携帯の着信音が中島みゆきの「時代」だったり,エレベーターの閉まろうとする(けどタカジョウさんの荷物が邪魔で閉まれない)やつがいいなーと思いました。そう。あえての「時代」,良いですね…。笑
でも除夜の鐘は途中で鳴り終わった感じで,また鳴り始めちゃったように聞こえたのでちょっと残念でした。聞かせたいところで流してるのかなと思ったのだけど,聞かせたいところ2箇所の間もバックでうっすら聞きたかったなぁ。

講評にもありましたが,最初から安心して観ることができました。どう観て良いかわからない高校演劇も少なくないですが,はっきりルールが明示されるのってありがたいですね…。
宇都宮女子の皆さん,お疲れさまでしたー。

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 新潟県立長岡大手高校演劇部『震える風』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:田村和也
出演:新潟県立長岡大手高校演劇部

なんかこの高校の名前聞いたことある,聞いたことある…と思っていたのですが,自分のブログ内を自分で検索してわかりました。どうやら11年前にこの高校の関東大会公演を観ていたようです,私!

がっ,申し訳ないことに内容とかは全然思い出せず…。この年度に新潟では中越地震が起きたのだけど,十日町と長岡大手高校(震源地に近いらしい)が関東への切符を手にしたのはそういうバイアスがかかってる訳じゃなくて,実力で出てきたんだよという話を聞いたことがあります。そういうエピソード記憶なら覚えやすいのにな…。でも,干支がほぼ一周しても,また同じ学校のお芝居を観られるのは嬉しいことです。

ががっ!パンフレットには,
地区大会でも県大会でもアンケートの感想はほぼ100%「何が言いたいのかわからない」でした。反省。
と書かれていて,それでも関東まで来るってどんな舞台なのだろうか~と思っていたのでした。

結果…

抽象ってムズカシイ!!!!!

ということを再認致しました。

さらにすみません。私はこの一個前の学校(長野清泉)の上演が無事に終わった安堵感もあり,若干意識が飛びました…。本当にすみません…。

一度意識が飛んだらストーリーには言及できないと思っているので,思うところだけ。

とにかく舞台が抽象的で,ほぼ真四角(だと思う)のシートの上にキャストさんがスタンバってて,入れ代わり立ち代わりいろんな役を演じていくしくみ。ときどきノートとかランドセルとか,小道具が出てくるしくみ。
あれ。なんかこういうの,観たことあるぞ…と思いまして…。
私は長野県のニンゲンなのでそこの話になってしまって申し訳ないのですが,例えば日下部英司先生が書かれるホンってこんな感じかもと,思いまして…。

今回の舞台は状況説明的なせりふがあんまりなくて(ないように感じて),もうその空間が始まればその場にいる人間関係が成立しているのだけど,それがいつで,どこで,あなたが誰なのか,わかるまでにすんごいすんごい時間がかかってしまって,ついていこうとすればするほど頭使って,意識がぽーっとおでかけしてしまったのだと思います…。衣装も似た感じだった(と記憶している…)ので,余計に誰が誰だろう感出ちゃいました。

抽象的な舞台って,なんにでも化けられるけどある意味いじわるなので,情報提供のさじ加減によって「抽象的だからこそ面白い」になるか「わからん」に分かれるのかななんて思いました。

書けば書くほど言い訳がましく思えちゃうのでこの辺で…。
あ。でも,キャストさんの待機が美しくて,いいなーって思いました。最近だと長野県屋代高校『A・R~芥川龍之介素描~』でこういうパターン(屋代は上下で椅子を用意して待機)のお芝居を観たのですが,着席の前後で(よっこらしょっと)みたいな素の感じが漂う舞台だったので,だったらもういっそ隠した方がキレイ…と思っていたので…。見せる以上,美しさって大事だなと思います。

噛めば噛むほどわかるスルメ系舞台だと思うので,何度か観てみたい舞台でした。(あとお客さんを舞台に乗せて四方向から観られる作品ですよね,これ。文化祭とか校内公演でできたら面白そう!)
長岡大手高校の皆さん,お疲れ様でした。

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 長野清泉女学院高校演劇部『宇宙の子供たち2015』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:クリアウォーター
出演:長野清泉女学院高校演劇部

北関東大会2校目にしてようやく北関東の高校が出場…!笑

地区から追いかけてきた長野清泉。高校演劇を観るようになって15年くらいになりますが,地区→関東と観てきた作品はこの学校が初めて!ということに気づきました。昨年の長野県松川高校関東全国と拝見しましたが,途中で年度が替わりメンバーが変更になったので,地区から変わらず…というところはここだけ。嬉しいーと思う気持ちが半分と,なんだかこれはストーカーでは?という気持ちが半分で,なんともビミョウな思いです。笑
(「地区」とか「県」とかクリックしていただければ,その大会公演の感想に飛びます)

でも,地区を観た時には「地区じゃ終わらないぞこの高校!」と思っていたので,それが本当に関東まで行って,関東の舞台を私も共有できたことは,とっても嬉しいのです。

なんか,なんだろう。地区から関東まで通して思ったこと。
私全然長野清泉事情に詳しくないし,2004年とか2006年とかの県大会以来全く観ていなかったから比較の仕方が悪いなとわかっていて書くのだけど,昔の清泉には私立の女子校特有のやらしさがあるなーと思っていたんです。やらしさというか…癖っぽさって言い換えても良いかも。いかにも演技してます!という癖っぽさが私が昔観た清泉にはあって,観ていると引いてしまう感じが個人的にはあったんです。(スミマセン…。あくまで主観です…。)
が,2015年に観たこの作品はそういうやらしさが抜けてて,とってもナチュラルなお芝居に仕上がっているように感じたんですよね。清泉が変わったのか,私の受け取り方が変わったのか,その両方なのかわからないのですが,とにかくこの作品で私の長野清泉に対する見方が変わったのは確かで,月日の流れってオソロシーと思ったのでした。←ほめてます。ほめているのです。

県大会が終わってから,この作品が映画『誰も知らない』のエッセンスを拾っている(らしい)ということを知り,私もこの映画を観てから関東に臨みました。いつか観たいと思っていた映画だったので,きっかけを作ってくれてありがとうという感じです。
本当にエッセンス…という程度で,ストーリーが似てるとかそういうものではないのですが,子どもにとって「遊び」というのはものすごい力があるなぁということは映画からも舞台からも感じられました。遊ぶことで,その世界に没頭することで,つらい現実から逃れることができる。空腹を忘れることができる。ケンジとタダシは,生きるために,本能的に遊んでいたのだろうなーなんてことをしみじみ思いました。
あと,『誰も知らない』でも,児相に保護されたら生活の質は確実に良くなるし,何より命の保障があることはわかるけれど,きょうだいが離れ離れになることは受け入れられない…という理由でコンビニ店員による通報を拒否するシーンがありました。『宇宙の子供たち』でも民生委員カグヤさんのお宅訪問をシャットアウトするシーンがあって,この,きょうだいの一心同体感というか運命共同体感って何なんだろうと思いました。ケンジはタダシだったし,タダシはケンジだったのかな。離れ離れになるのは,自分の一部を切り取られるような感覚なのかもしれない…。とか思ったり思わなかったり。あとやっぱどんなに劣悪でも,親を守るんだな,子どもって。だって親だからね。質としてはわるわるの絆に対して,外部がどう切り込んでいくかって難しいですね…。「難しい」という言葉でしか表現できない自分の力のなさに,大人としてがっくりきてしまいます。

そうそう。さすが関東大会だなーと思ったのは,お客さんの反応の仕方というか,着眼点というか。望遠鏡って実在したのかなとか,いつまであったのかなとか。あぁ…そんなの私考えたことなかった…。でも,あれだけ抽象的というか想像力を要する舞台なので,望遠鏡まで見えなくなってしまうのは私はつらいかもしれない…(メンタル的にも理解の面でも)。私達観客の目の前にあるものと,ケンジとタダシが実際に見ているものが一致していなくたって,それはそれで良いじゃないかと思っております…。

なんか,そういえばTwitterでフォローしているこちらの学校の部員さん情報によると,照明などのマイナーチェンジがあったようなのですが,私あんまり気づけませんでした。ゴメンナサイ…。人の痩せた太ったもイマイチ気づけないニンゲンなので…。スミマセン…。でも,ラストの星空は(あんなに光ってたっけ!?)と思ったのと,目つぶしライト(と私は勝手に呼んでいる。客席に向かって光るライト全般をそう呼んでいる…。)が印象的だったのですが,せりふとか変わってたかもしれません。が,気づけませんでしたスミマセン…。アワワワ…。

あ!気づけたのは,ロクスケとお姉さんの位置!ここは県の時すごーい気になってたから,(前に出てきてますように!)と思ってたのですね。なんとなく県の位置より前に出てきている感じがしたので,良かったです。キャストの皆さん全体の声量や滑舌も県の時よりクリアで聞きやすくなっていたので,安心して観ることができました。
そういえばロクスケのあの姿を北関東の皆様の前で披露してもらえて,部外者ながら私はとてもとても満足でした。笑 やっぱあれインパクトありますよね。笑

3回目の観劇なので話もわかっているし流れもだいたい掴んでいるのだけど,やっぱり最初からネグられていることがふんわり漂いすぎている気がしてしまうのは私だけでしょうか…。
パンフレットとか見てもそんな雰囲気全く出してないのであえて情報として伏せているのだと思うのですが,その割にいっちばん最初から仄かに,でも確実に要素は出しているので,いつどのタイミングでばばばーんと出すかは再考の余地があるように思うのですよね。出すというか,どう触れていくか・聞かせていくか…みたいな。(たとえばウサギマダム達の井戸端会議の「見ちゃったのよ,あ~ざ!」の「あざ」とか。)やはり同じ情報でもどう聞かせるかによって,その情報が重要かどうかを聞き手は瞬時に判断していくと思うので,よくよく聞いたらちゃんと布石あったじゃん!みたいな感じだと,もっと(やられた!)という気が後々するのかなぁ。んんんー。

そう。3回目なのにやっぱりラストシーンで涙出たのでふぐぐぐと思ってしまいました。泣かなかったけど。やっぱりケンジのあの表情に,あのきょうだいがほしかったもの全てが詰まっているような気がして,ぐわーってきました。あとその前の,タダシの「何が見える?」は,それまでのアドレナリンばしばしの状態から現実に打ちのめされた“落ち感”(うまく言えないけど)がすんごい出ていて,思わず(うっ…)ときました。胸にずしっと。落とすのがうまいというのは果たしてほめ言葉なのかよくわからないですが,あのキャストさんは力があるなと毎回思っております…。

はっ。そういえば講評で,ラストの暗転をかませない方法というか,「あのシーンは誰が観ているのか」という話はとっても勉強になりました。←別に私お芝居つくる予定もなんもないですが…。
講師の先生のお話を伺っていて,昨年観た世田谷パブリックシアター『道玄坂奇譚』のラストシーンを思い出しました。確かに,暗転をかませると私達が見たかった画になってしまう気が…。でもきっと本当にお父さんお母さんが起こしてしまったら私の涙腺が崩壊したかもしれないので,これはこれで良かったと思うことにします。笑


長野清泉の皆さん,優秀賞おめでとうございます。地区で終わらないと思っていた作品がこんなところにまで来てくれて,勝手に嬉しくなっています。女子高生のパワーおそるべし。ラストの曲も印象的なので,レンタルして聴いてみたいと思います。
地区~関東と,長期間お疲れ様でした!

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 東京都立町田高校演劇部『はなさかさん』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:松澤美奈子と町高演劇部
出演:東京都立町田高校演劇部

今年もやって参りました関東大会。北会場なのにトップバッターが南の東京代表校…!なんだか面白かったです。笑

昨年南も北も結構がっつり観て,各都県2校観ると特徴がわかるなーっという感覚があって,それがとても面白かったのです(そのときの日記がこちら)。
東京はいろんな刺激があってカオス☆そして基本創作☆というイメージをここ2年で確立したのですが,町田もそのイメージを裏切ることのない舞台を創っておられました…。(どうでもよくないですが,私の中で“町高”といえば都立桜町だったのですが,町田も町高なのですね。あぁ,呼び方に困るパターンだわ!)

昨年私は平田オリザの『わかりあえないことから-コミュニケーション能力とは何か』を読んだのですが,中でも「マイクロスリップ」の記述がとても印象に残っていました。これが立ち居振る舞いに人っぽさを出しているというか,人間らしくしているというか。この知識を持ってからは,例えばマームとジプシーなんてマイクロスリップだらけじゃないかということがわかり,メガネの度が上がって世界がクリアに見えるようになった感覚がありました。(マームはそこに感情表現を殺しているから表現としては不自然っぽいんだけど。せりふだけ取るとマイクロスリップと言っていい気がする)(近年の長野県の高校演劇事情で言うと,郷原玲先生の作品はスリップしまくってる気がする)

この『はなさかさん』が魅力的だったのは,ロボットがマイクロスリップしてるところ。うまく表現できないのだけど,石黒先生のアンドロイドがお芝居をしているよう。花坂さんがロボットに個性をつぎ込んでいるあたりに亡くなった家族を思う部分がすごーく表れていて,ロボ1号機~四郎がとても愛らしく見えました。ロボット達が体操するにしても,デフォルト(と言っていいのだろうか)は一緒なのだけど,細かいところで一人一人動きが違うから,味があって素敵でした。

あと,講評でもお話がありましたが,ロボット自身にもパーソナリティがあって,「私達は身代わりじゃない」という意思を持てているあたりも面白かったです。私もいろいろ空想するひとなので,(もし私の大切な人の死に際とかで,大切な人が私を私と認識せず,大切な人にとって大切な人として認識したら,私はどうするんだろう~)とか考えたりするんですが,まさしく花坂さんからしたらロボット達ってそんな感じなのでは!と思ったり。切ないですね,ロボット達…。

そうそう。ロボットは喋り方もフラットにしていて基本早口なのに,ちゃんと聞こえるから純粋にすごかったです。滑舌の良さを初日の一校目から感じるあたりが関東だな…と思いました。笑

幕が上がってすぐ視界に入るビールケースが山盛りなのも,(おおっ)と思いました。赤青黄白って,何でも生み出せる色ですよね。何にでもなれるというか。まだこの世に生まれて間もない四郎が白なのも,インストールしきれていない感というか,そんな感じがしていいなぁと思いました。あと,充電するときに4体が座るビールケースの色が,ちゃんとTシャツの色とリンクしてるから細かいなぁ。
そうそう。充電のチューブ?と,かぱってつけるやつがチープだけどそれっぽくて,楽しかったです。笑

あと。スクラップされちゃった四郎が入っている箱が,花坂さんの作ったロボットの箱になった瞬間は,なんとも言えない気持ちになりました。小道具の使い方としては自然で鮮やかで,だけど入っているものを思うと非常に切なくなりました。あぁぁ…。

タイトルがタイトルなのでラストシーンの画は若干読めてしまいましたが,それでも最後のハラハラ~ってところはとてもきれいでした。無機質なビールケースの世界の中で,人とロボットの生の感情が見えた気がしました。

いろんな要素を盛り込んで,渋谷の迷える若者とかも混ざり込んじゃって,まさにカオスな舞台。東京らしくて良かったです(ほめてる)。出だしから北関東にはないものを見せてくれたなという感じでした。町田高校の皆さん,お疲れ様でしたー。

Thursday, January 21, 2016

映画『誰も知らない』

◇STAFF
監督・脚本・製作:是枝裕和
音楽:ゴンチチ
挿入歌:タテタカコ『宝石』

◇CAST
柳楽優弥/北浦愛/木村飛影/清水萌々子/YOU/韓英恵/加瀬亮/平泉成/串田和美/岡元夕紀子/タテタカコ/木村祐一/遠藤憲一/寺島進

製作国:日本
公開:2004年
上映時間:141分

(2016.1.14 DVDで鑑賞)

この映画が公開された2004年。カンヌ国際映画祭で柳楽くんが最優秀主演男優賞を獲得したというニュースはかなり大々的に報道されていて,印象に残っています。柳という字と楽しいという字で「やぎら」と読むということも,このひとの名前で知りました。
だけど何がどうすごいのかわからないまま,映画への興味よりも日々の身近なことへ熱中していた私は,そのまま何年もこの映画に触れず過ごしていました。

2009年。多分そのくらい。大学生の同じ学科のまゆみちゃんと話していたときに,この作品の名前が出てきたのです。
「ネグレクトのお話だよ。YOUがお母さん役なんだけど,家を出てっちゃって,きょうだい4人で生きていくって話。」
『はー。それそういう話だったんだぁ。』
当時教育学をべんきょうしていた私は,この作品に興味を持たなかったわけではなかったけれど,それでもレンタルして観るというところまではいかなかったのでした。

そして2015年。高校演劇に再び目覚めた私は,長野清泉女学院高校の『宇宙の子供たち2015』を観ました。地区大会,県大会と続けて観ましたが,どうやら『宇宙の…』はこの作品にインスパイアされている部分があるらしいということを知ったので,関東大会前に観ておきたい!と思ってレンタルしたのでした。公開されてから12年。干支が一周回ってしまった…。

でも,観てよかった。
救われない映画だけど,観てよかった。
胸がとてもヒリヒリする映画でした。
「柳楽くんの表情がいい」という前評判を聞いてから観ましたが,ホントそうで。彼の表情が全てを物語っていました…。

長女の京子もそうだけど,いや次女のゆきや次男の茂もそうだけど,みんなやっぱお母さんのことが好きじゃん。きょうだいのことが好きで,家族のことが大切じゃん。それが全てだから,サヴァイヴするにも優先順位が「きょうだい一緒に」だから,児相や警察の存在を知っていたのに明はそこには一切触れないし,タイトル通り誰にも知られないまま生き延びようとする。無理が来ることをどこかでわかっているのに,突き進もうとする。そもそも無戸籍だから行政も彼らの存在を見つけられない。なんて苦しい世界なんだろうー。うぅぅ。
コンビニで賞味期限切れのお弁当やおにぎりをもらってきているあたり,他者にヘルプを出すスキルが明にないわけじゃないのに,そういうヘルプの出し方なのかと思うと,とても切ない。切ないのです。

でもって,子ども達の生命力がものすごかった。
母親に捨てられて,ガスも電気も水道も止められて,そしたら外へ資源を探しに出かける。ペットボトルに公園の水を入れて持って帰ったり,何かの種を採集してカップ麺の鉢に植えたり,小さな何かをすぐにおもちゃに換えてしまう,遊びに換えてしまう子どもの発想力や柔軟性には圧倒されました。きっと4人だから生まれたパワーなんだとも思います。捨てられたのが子ども一人だったら,ここまで生き延びられなかったのでは…。きょうだいの力って,本当にすごいなぁ。にょきにょき生きていく姿がたくましかった…。いい土なんかじゃなくて,肥料もなくて,カップ麺の鉢なのにどんどん伸びる植物の姿と子ども達の姿が重なりました。

だけどやっぱりニンゲンだから,茂なんかは苦しさを遊びで発散しようとするし,明も野球に誘われたら嬉しくなってやっちゃうよなーとも思います。ある意味当然の反応というか…。そうそう,空腹だから外に出たのに,兄の明に発見される頃には知らない友達とわちゃわちゃ遊んでる茂の姿とか見ると,遊びの力って偉大だわと思います…。明も必死で堪え忍ぶけど,我慢できなくなって下の子達に当たってしまうあたりも,とても人間くさくて,生々しくて,切ないけれどぐっときました。本当にドキュメンタリーじゃないかというくらい,生々しい映画。

また母親がYOUなのもとても素敵…(ほめてる)。確かに育児放棄しそう…(勝手なイメージ)。
冒頭はちゃんと子ども達を愛してるっていうシーンがあるけど,でも自分中心なんだよね。お酒飲んで帰ってくると,寝ていようが何していようが子ども達起こしちゃうところとか。子どもというより,同居人のように扱ってる感じ。確かに愛でているけど,守るべき対象ではない感じ。子どもというより,お金が必要な小さな大人として見ている感じ。なのかな。だからきっと,心の中では「お金送ってなくてやばいかも☆」とは思っても,どんな苦労を子ども達がしているのかは想像できていなかったのかも。わからないけど。あときっと,やばいと思っていても向き合う覚悟が,このひとにはなかったのかも。とにかくハマリ役で,怖かったです。

いろいろつらつら書いてしまったけど,やっぱり子ども達の表情が素敵でたまらなかったです。柳楽くんと北浦愛ちゃんの,思春期入りかけたあの表情。本当は甘えたいのに素直に出せないあの表情。あの年齢のお子さんにしか出せない表情だと思うと,子どものあの一瞬って本当に貴重だな~と思います。1年くらいかけて撮影しているっぽいのだけど,1年経つと清水萌々子ちゃんも木村飛影くんもぐっと大人っぽい表情になっているから純粋にびっくりでした。柳楽くんに至っては声変わりまでしてるし!なんて良い時期に撮影をしたんだこの映画は…。子どもの成長に嘘がなくて,本当に貴重な貴重な映画だなーと思います。

嘘がないくらいダイレクトに感情が伝わってくる映画だから,本気で苦しかったです。目を何度も逸らしたくもなりました。そのたび,(この数年後,柳楽くんは高校で豊田エリー先輩に出会って恋にお落ちて結婚して幸せになるのだわ!!!)と念じていました。笑 明は救われないけれど,柳楽くんは救われる。そう思っていないと観ていられませんでした。あぁつらい。つらかった。是枝監督,すごいです…。

あと特筆すべきこととしては,串田さんが超若く見えてびっくりしちゃうのと,同郷のタテタカコがこんなにも活躍していて嬉しい♡ということ。
12年前なのに。2004年とかに私串田さんの出てるお芝居観てたのに。ということはそのときだってこれくらいだったはずなのに。なんだかものすごい年月を感じました。

子ども達の素直な反応や表情から,ヒリヒリした心の痛みや彼らを取り巻く場の温度が伝わってくるような,生々しさがある映画でした。今観て良かった。そんな作品。

Tuesday, January 19, 2016

映画『白鯨との闘い』

◇STAFF
監督:ロン・ハワード
脚本:チャールズ・レーヴィット
原案:チャールズ・レーヴィット/リック・ジャッファ/アマンダ・シルヴァー
原作:ナサニエル・フィルブリック『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』
音楽:ロケ・バニョス

◇CAST
クリス・ヘムズワース/ベンジャミン・ウォーカー/キリアン・マーフィー/トム・ホランド/ブレンダン・グリーソン/ベン・ウィショー/ミシェル・フェアリー/フランク・ディレイン/ポール・アンダーソン/シャーロット・ライリー/ドナルド・サンプター/ブルック・ディモック

製作国:アメリカ
公開:2016年(日本)
上映時間:121分

(2016.1.19 劇場で鑑賞)

先月,高校時代の部活の同期と共に文学座の『白鯨』を観に行き,「私達が現役のときにやりたかったやつはこういうやつーーーーーー!!!!!」と,ものすごい刺激を受けてきたのでした。
終演後のポストトークで「来月映画が公開されるんですよ」という情報をゲットしたので,これも同期と行きたーいと思って観てみたのでした。


感想。

怖面白かった!

の,一言。


やっぱり映像なので,ダイレクトな情報なので,ズバッと伝わってきました。抽象的な舞台だった『白鯨』では想像力を要していて,私の力が及ばないところも多々あったのです。
捕鯨の一部始終とか見てると,本当に命がけで。ハイリスクだけどハイリターンだから,いろんな事情を抱えた人が船に乗り込んでいくんだなーとか,改めて実感しました。映像の力,すごいわ…。

そうそう。特にフギャー!!と思ったのが,鯨から油を取ってくるところ。一番下っぱだからトーマスが頭部の油を汲んでくるところとか,もうこちらの鼻までやられてしまうような気持ちになりました。うぉぉぉ…。ハイリスクハイリターン…。

にしても,白鯨恐ろしすぎる。何あれ。何なの。
映画が終わってから同期に,「なんかHP(ヒットポイント)が5くらいのポケモンに対してHPがMAXのポケモンが攻撃してくる感じじゃなかったー?」と言ってみたら,『わかるー!』と返ってきました。笑
なんか,もう超弱ってるのに(まだ来るの!?)という感じで。白鯨。いつ来るんだいつ来るんだと思うと,全く安心できない映画でした。

あとは無人島に行きついた彼らが,鳥?ウミガメ?の卵を食べるあたりとか生魚をぶしゃーって食べるところとかは,ワイルドすぎてギャンッとなりながら観ました…。でも生きるってこういうことだよね…。私も究極に追い込まれたらそういうことができてしまうのかもしれない。

人肉…のあたりは,野田秀樹の『赤鬼』のことを思い出しながら観ていました。人が人でなくなる感覚というか。どこの国の人であっても,この行為というのは大きな罪で,罪悪感なんて言葉で括れないくらいの罪の意識に染まってしまうんだなとぼんやり思いました。解体した体を縫い合わせて水葬にしたのは,姿だけでも人として…という意識と,自分達の罪をなかったことにしたいという無意識があったからこそなんだろうなとも思いました。

舞台の『白鯨』,そして映画の『白鯨との闘い』を通して,原作を読んだことがないのに原作に詳しくなったようなこの感じは何なんでしょう。笑
この先原作を読むかどうかはわからないけど,きっとリアルな描写を頭に浮かべながら読むことはできるんだろうと思います。

「実話」「実話」と公式webサイトにも書いてあるけど,本当に実話だと信じられないくらいドラマチックで怪しいんですけど,どうやら実話みたいです。あぁ,すごい…。

なんだか,書けば書くほど自分の薄っぺらさが露呈されてしまうので,このくらいにしておきたいと思います…。
重厚な,私の観てきた映画の中ではかなり重厚な,そんな映画でした。
セットで観られて本当に満足ー。一緒に付き合ってくれた同期にも超感謝です。おそらく一人じゃ耐えきれなかった。当時の部活の顧問にも,観ました報告しておきます。笑