Sunday, June 26, 2016

特別展示 HNコレクション『シリアルキラー展』

(公式webサイトより)

@ヴァニラ画廊

職場の後輩さんに「リカさんって犯罪心理学って興味ありますか?」と声を掛けられ,先輩と3人で行くことになったシリアルキラー展。私は大学でも大学院でも犯罪心理学は手をつけていなくて学問的にはさっぱりなのだけど,彼らの生む作品を見られるとなるとミーハー心に火がつき,銀座までおでかけすることにしたのでした。

ということで,この展覧会はシリアルキラーの皆様方の描いた絵とか,立体作品とか,聞いてたカセットテープのケースとか,外のひとに宛てた手紙とか,そういうものがだだだーっと展示されてました。

6月の午後。日曜の銀座。とても暑い場所(しかも地下)にこういうものに興味ある人達がすんごい集って来ていて,結構な熱量がありました。
しかも展示の仕方もまた圧がある感じで,作者の名前と解説と作品をどこで区切って見ていいかがぱっと見でわからなくて,ちょっと大変だったな…。


ちゃんとべんきょうしてないので,本当に主観になってしまうのですが…思ったこと。

①エネルギーがないと殺人はできない
②作品がみっちりしていて余白がない
③ディズニーは彼らの心を支えているかもしれない

はい。それでは①から順に…。

まず,壁にかかっている作品をばばばっと観た時に,むちゃくちゃ元気というか,エネルギッシュさを感じたのですね。それは作品のサイズ(結構でかい)だったり,色使い(かなり原色。チューブからそのまま出てきたような感じ)だったり。油絵というのもあるかもしれないのだけど,かなりゴテゴテしていて圧があるものが多かったのでした。
もうちょっと他の色と混ぜたり,徐々に色が変わっていくように塗る(グラデーションにする)こともできたはずなのに,それができないあたりに彼らの外界との交われなさというか,白黒はっきりしかできないというか,極端さみたいなものを感じました。そうでない人も多少いましたが,表面だけ見ると実にのっぺりした感じ。深みとか奥行きの前に,あの色使いと筆遣いをもって押してくるものを感じました。

そして自画像を描いてるひとが結構いたり。ピエロに扮して殺人してたひとはピエロに変身する過程を3部作で描いてるし(このフライヤーの絵がそう。この絵は変身完了後)。自己顕示欲の強さがひしひししてました。
これを獄中で描いていると思うと本当にびっくり。方向が正か負かはさておき,心にエネルギーがないと連続殺人ってできないんだなぁとしみじみ思いました。エネルギー有り余りすぎ。

②は①とも絡んできますが,一枚のキャンバスがあったら,余白がないんですよね。描きたいものがぎっしりで,画面がみちみちしてる。これをエネルギーと呼ぶこともできるし,加減をつけられないとも言えるだろうし。落ち着いて考える隙間がないというか。そういうわけでとにかく熱量の高い作品ばっかりでした。
しかも絵に限らず。作品の中には,アイスキャンディーの棒で作った時計(かなりの立体。多分重ねて重ねて重ねたやつを組み合わせて切断してる)があったのだけど,それも模様がぎっちりで,すごい圧がありました。強迫的というかなんというか…。苦しい感じがしました。

③は,彼らの手紙の中とか作品から感じました。七人の小人とかピノキオとかドナルドとか。そういうのを描いてる人がちょこちょこいたんですよね。面白いなーと思って。決して主役のミッキーではなく,サブキャラとか,作品中の主役でもどこか脆さがある子がセレクトされてるんだなと。
なんだろう。いたずら好きで,思ったままに行動して,しっかりした大人でも純粋な子どもでもないキャラクター達が,彼らの心のどんな部分を掴んでいるんだろう。よくわからないけど,彼らの心を支える何かにはなっているのだろうと思うと面白かったです。同時に,日本でこういうキャラクターっているのかなーって考えちゃいました。うーん。トトロがディズニー要素を持ってるかというと全然そうじゃないし,ドラえもんやアンパンマンはピンチを助けてくれる存在だし,ピカチュウやジバニャンも違うなと…。ディズニーって唯一無二で,存在感大きいなと,改めて感じました…。シリアルキラー展で。笑

壁からも満員の会場からも圧がものすごくて,3人で行ったのに私以外の2人が会場で体調を崩し,もうなんというかシリアルキラーの威力を実感する企画展でした…。
この企画展にはしっかりしたパンフレットが付いていて,彼らの生い立ちとかしでかしたあれこれについて解説がついていたのですが,まだあんまり読めてません。でも気にはなるので,改めて読み返してみたいと思います…。

Saturday, June 25, 2016

日本劇作家協会 6月の月いちリーディング『天と空のあいだ』

@座・高円寺

作:川名幸宏
コーディネーター:ハセガワアユム/山田裕幸
ファシリテーター:長谷基弘
ゲスト:詩森ろば/関美能留
出演:小沢道成/ハマカワフミエ/橋本昭博/都築香弥子

先月,Meeekaeの『天と空のあいだ』の本公演を観ていたのですが,それがリーディング公演になって上演されると聞いて,観に?聴きに?行ってきました。劇作家協会がこんな素敵な試みをしているなんて,初めて知りました。そしてその作品に選ばれた川名くん,スゴイ…。

そうそう。本公演ではバベルとフランクだけが出てきて,後にフランクが結婚することになる「エミー」は単語だけの存在というか,実際には出てこなかったのです。そのお陰もあって,丸山港都くんと川名くんが出演した本公演はとってもさわやかというか,男の友情っぽい作品…という仕上がりになっていたのでした。
が,今回はエミー出演!港都くんによると,元々川名くんは3人版で書いていて,エミーさんが見つからなかったために2人版に書き直したのだそう。川名くんが表現したかったものにより忠実なのが今回のバージョンのようです。

私は今までいろんなお芝居を観てきましたが,思えばリーディング公演はこれが初めて。どんなもんなんだろう~と思っていたのだけど,一回観ていた助けもあって,ものっすごい臨場感溢れるリーディングでした。何を隠そう私はハマカワフミエさんがすんごい好きで,ドラマのゲストとかで出演されてるとガン見しちゃうのですが,今回は生ハマカワさん…☆うっとりうっとりしながら聴いちゃいました。笑
フランクとバベルについては,同じ役を違うひとが演じているのを短期間で観られたので,面白かったです。そんなふうに表現することもできるんだなーって。新鮮でした。

そして3人版の感想…。
なんというか,エミーが実際に口挟むと,こんなドロドロした仕上がりになるんですね。笑
バベルがエミーを好きなことがより一層際立ってくる。フランクもバベルも,直接エミーと話ができることで。バベルが下界(?)に降りられないことで,下界では下界で世界が変化していって。2人しか舞台にいなければ空間は平等だけど,奇数になることで不均衡が生まれるものね。いいなぁ。3人。でもラストで「走っていった」みたいなことを都築さんが読み上げた時には,私も(んん!?そんなさわやかか!?)と思っていたのだけど,読み間違いだと後でわかって納得でした。うん。駆けていけるほどもう彼らは若くないし(←子どもがいるし…の意味で),さっぱりしてないよね…。

リーディングの後のディスカッションは,普段使わない私の脳みそをフル回転させる感じで,刺激的でした。うーん。確かにバベルが上った理由は必ずしも明確にならなくていいのかなとか,「ひきこもりがでかいこと言ってる」という表現がとてもしっくりくるなと思ったりとか。
あと個人的に,早稲田と明治の差みたいなところがツボでした。←そしてそれをぶった切るハマカワさん…。素敵…。笑

知人が書いたり同期が出演していた作品なので,あんまり客観的に見られなかった作品ですが,いろーんな角度からこの作品についてコメントがあり,いろんな面白い部分を見つけられたような気がします。ブラッシュアップした作品を,今度は劇場で観てみたい!(エミーも出る3人版で!)
そんなふうに思えたリーディング&ディスカッションでした。思わず脳内演出しちゃいました。
今後の川名くんの改稿に期待です。

ちなみに公開されている当日のリーディング公演の様子がこちら。(私も最初の方でちょっこし映っている…。)

Sunday, June 19, 2016

テレビドラマ『トットてれび』(全7話)

◇STAFF
原作:黒柳徹子『トットひとり』『トットチャンネル』
脚本:中園ミホ
演出:井上剛/川上剛/津田温子
音楽:大友良英/Sachiko M/江藤直子

◇CAST
満島ひかり・藤澤遥/中村獅童/錦戸亮/ミムラ/濱田岳/安田成美/松重豊/大森南朋/武田鉄矢/吉田栄作/岸本加世子/吉田鋼太郎/黒柳徹子/小泉今日子(語り・パンダ)

2016年4~6月にNHKで放送,同時期に鑑賞

放送開始前から密かに楽しみにしていた『トットてれび』。今年の3月に黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』を買っていたのだけど,全然読めていなくってちょっと後ろめたいというか,本に対するうっすらした罪悪感みたいなものもあって,観たいなと思っていました。そうでなくても,満島ひかりに黒柳徹子役を2回もオファーしたという話題を耳にしていたり,とにかく出演者がすごいので気合いが入ったドラマであることに間違いないと思っていたのもあって。30分という短めの枠も見やすかったです。

これまで私の中でNHKの本気といえば,NHKスペシャルの『映像の世紀』だと思っていました。20世紀の世界各国の映像を集めてテーマごとに編集したドキュメンタリー。高校生の時に世界史で一通り見て,DVD全盛期の時代に,世界史の先生がVHSに録画したものを大事にとっていた理由がわかったような気がしていました。

がっ,『トットてれび』は『トットてれび』で別の角度の本気!テレビ放送が始まったレトロなあの時代を丁寧に再現していたり,ものまねではなく実在の人物の本質を表現しようという手法に胸が熱くなりました。確かにビジュアルは寄せていたのだろうけど,満島ひかりが本当に若かりし頃の徹子さんだった。いや,私が知っている徹子さんはおばさんとかおばあさんになってからの徹子さんなのだけど,若かったらきっとこうだったんだろうなという満島ひかりの徹子さんでした。

一番最初の回では,オーディションを受けたトットちゃんが「私は喋り方が変」みたいなことを自分で言ってます。確かに普段の満島ひかりの演じている喋りと比べたら明らかに「変」なのだけど,あのビジュアルでそういうふうに喋っていたら,すんごく普通というか,すんなり聞けちゃう。あれは何なんだろう。役作りとかそういうものではなくて,満島ひかりの見た目をした徹子さんが喋っているような感覚。このひとの,満島ひかりの女優としての幅の広さを今回改めて感じました。
どこまでが台本で,どこまでがアドリブなのかわからないのだけど,トットちゃんのちょっとした一言がものすごく生っぽくて,見ててうぉぉ~ってなりました(語彙力…)。例えば,オーディションが終わった時にぼそっと「まただめだった」みたいな呟きをしたりだとか。トットちゃんは今の診断基準と照らし合わせると,ADHDぽいとかLDぽいとかって言われてますが,そのADHDの素っぽさというか,そういう部分がぽろっとこぼれていて。そこがまた魅力的でした。

(あ。周りのひとも楽しいのでわちゃわちゃした感じで見られるのだけど,今全7話を振り返ると,トットちゃんの内省している部分,心で考えている部分ってドラマではあんまり扱われていなかったな…。いきなりNYに行っちゃったりとか。それは本を読めばわかるのだろうか。この夏の課題図書にしよう…。)

アタマの方でもちょろっと書きましたが,本当に贅沢なキャスティングですよね。これ。
上にばーっと書いたキャスト陣は主要人物で,他にも各回ゲストがいるのだけど…新井浩文,福田彩乃,小松和重,北村有起哉,木野花,田中要次,片桐はいり,松田龍平とか…これだけでもだいぶ豪華なのですが…。あと気づいたらモー娘。OGの高橋愛と田中れいなと久住小春がいるし,昨年夏に放送された『レッドクロス』で素敵な子役だった高村佳偉人くんもトットちゃんのクラスメイトとして出てきているし。す,すごすぎる…。あとFolderのデビュー当時を知っている私としては三浦大知との共演はたまらぬものがありました。(FolderとFolder5のベスト,私のウォークマンに入ってます…。笑)
こういうところからも,NHKの本気度合いが伝わってきました。

職場の先輩から聞いていた向田邦子さんの留守電のエピソードをはじめ,実在する著名人との交流,当時のテレビドラマの作り方なんかは「そうだったんだー!」という感じで,楽しく見られました。同時に,一人のひと(徹子さん)をいろんな角度からじっくり知るということがすんごく面白かったです。ドラマ自体ももちろん面白いのだけど,一人のひとが持っているドラマはものすごく面白いし魅力的だし,人生のべんきょうになる気がします。

ノンフィクションの要素も含んでいるけど,中園ミホの脚本ということも,このふわふわしたファンタジックな世界を作り出せていた要因なのだろうなーと思ったり。2年前の前期の朝ドラ『花子とアン』も私は全編観たのですが,実際とファンタジーをふわりと融合させていたなぁーと思っていたのです。今回だったらトットちゃんの夢とか,途中で商店街が真っ二つになったと思ったら楽しいテレビの世界に繋がってる…とか。最終話のラストシーンも,「今の徹子さん」が3人(子役の藤澤遥ちゃん。彼女も登場シーンは少ないけど徹子さんのエッセンスをちゃんと掴んでて良かった。)も出てきたり,あの世に行ってしまった向田さんとか森重さんとか渥美さんとかがわらわらセットから出てきたりして,私の涙腺がヤられていました。あぁぁ…。

徹子さんの半生,仕事への思い,大切な人達への思い,テレビとは何を伝えるものなのか,女優とは何を表現するものなのか…そういうものがよーく伝わってくる,レトロでキュートで充実したドラマでした。トットちゃんのことがますます好きになったので,本,読みます…!笑

Sunday, June 12, 2016

NHK BSプレミアム『ドキュメント 蜷川幸雄 最後の挑戦』

2016年6月4日放送,6月12日に観賞

蜷川さんの追悼番組。1時間なのに,蜷川さんの魅力たっぷりの番組でした。今までの功績というより,最後にどんな仕事をしていたかに焦点を当てていたのだけど,この人は本当に,最後の最後まで彗星のように燃えていたなぁということが伝わってきました。
弱々しい体で,やせ衰えた体で,車椅子に酸素チューブつけた体で,この人はどこにこんな情熱を持っているんだろうと思いました。

蜷川さんの言葉は胸を打つ。
番組の中でバシッと私の心を射た言葉を,ここに書いて,残しておきたいと思います

『いい演出家になりたいんだよもっと。なんだかわからないけど,心を打つね。誰もまだ見たことのない,こんな舞台を作った蜷川さん。というふうになりたい。』
→昨年12月頃のインタビュー映像…だったと思います。
ここまで来て「いい演出家になりたい」って言ってるこのひと。ほんとすごい。「なんだかわからないけど心を打つ」というのも素敵で,本当の感動ってあんまり言語化できないものなのかも…と思ったり。

『自分のうぬぼれている想像力なんて たかがしれていると思った。もうちょっと いい仕事ができるといい。』
→ストイックすぎて。本当にストイックすぎて。このひとにこんなこと言われたら,私は何もできなくなってしまうよ…。

『石橋蓮司や緑魔子さんたちもこれで苦労していた。「やつの機嫌は?」「至極上々」これ一発で朝から晩まで稽古していた。終わったら泣いたね。蓮司は泣いた。よし,それで良かったって。自分がうまくいかないからいい役がつかないんだとか,叱られるんだって考えて,すぐ逃げない。一番そういうときに勉強できるのに,悔しいから,みんなを納得させよう,納得してもっといい役を取れるようになろう。自分のためでもあるから,過酷な条件は自分で担わないとね。俺なんか世界中敵ばかりしかいないで,アジアの演出家がやるシェイクスピアをロンドンで成立させたいという,このくらいの悔しさががんばらせるんだから,悔しさをみんなに与えてるってとこもあるんだよな。そこから逃げちゃいけない。悔しいものを背負って,じゃあ蜷川あるいはみんなに「あぁ,いい俳優になったね」と言わせたい。これくらいの,つまんないような,思いが走らせる。そんなもんだぜ,人間,美しくなんかないんだって思いながら,俺はこんなロンドンで評価されたがってんだ,なんて思いながらさ,「ちゃっちい俺」と自己嫌悪と戦いながらがんばっていく。そういうものが走らせるという局面もあるんだよな。その悔しいことや辛いことを背負う。じゃないとうまくならない。』
→さいたま芸術劇場の専属カンパニー(って言っていいのかな。)ネクストシアターの稽古に付いた蜷川さんが,エチュードに対して指導してるところ。これを生で聞けたら,ものすごい厚みを感じられたんだろうな。
悔しいことや辛いことを背負ってこそ成長の余地があるというのはお芝居の稽古に限ったことではないなぁ~としみじみ思いました。
一番勉強できるときに逃げちゃいけないというのは,高校生くらいの自分に強く伝えてあげたい…。

『重苦しいのね,すごく。ここから他人の腕みたいな。これがある日,目が覚めたらすっきり何でもなく軽くなりたい。するとまた違うかも。軽やかにいい演出家になるかもなぁ。大きな声を出すと負担が多いから,ハアハアするのね。でハアハアすると呼吸が乱れるから,冷静に見てるものと違っちゃうんだよ,温度が。この間に…実感するものと,その上を覆っているものの間に距離があんだよ。それが埋まんないのね。それがピタっと来ないんだよ。それで朝目が覚めたらピタっと来てて,おお軽くなっちゃったって言う日が来ないかなぁーって思ってんだけど…。そうするとまた演出が変わるよ。と思いたい。』
→一番最初に引用したコメントと同じ時に撮ったインタビュー。体の状態と心の状態は切り離して考えられないなーと改めて思わせてくれる語り。"ピタっ"との感覚はきっと今の私にはわからないけど,いつか感じるときが来るのかもしれない。そしてやっぱり彼が考えてることは演出のことなんだなぁって。


このドキュメントの中には,蜷川さんご自身のことが作品になった『蜷の綿』についても触れられています。
(私,観に行く予定だったんだよなぁ。高校演劇の関東大会に行ったついでに発券する予定だった。公演延期になっちゃった連絡が入ったときは,本当に悲しかった。そして蜷川さんは星になってしまった。)

『蜷の綿』を書いた藤田貴大さんは,蜷川さんのことを後悔とか後ろめたさとかネガティブな感情を糧に生きてきたみたいな分析をしていて,彼の一貫性というか根底に流れるものが私にも伝わってきたような気がしました。アングラから商業演劇に転換したのも,とても人間らしいこと。でもそれまで芝居づくりを共にしてきた仲間をある意味裏切ったことについては落し前(この単語久々に聞いた)をつけなきゃけないから,そのエネルギーが彼を走らせていたんだろうなって。ネクストシアターのところでも,蜷川さんご自身が似たようなこと仰ってるけど。
あー。いつか観たいな。この作品。マームとジプシー版でも,蜷川さんのお弟子さん?の井上さん版でも。


蜷川さんの本気と蜷川さんの言葉にたっぷり浸かった1時間でした。
このひとはとても真っ直ぐで,このひとはとても優しくて,このひとはただただ「いいもの」について考えていたんだなということがよくわかる番組でした。

たった一本しか観られなかったけれど,私の人生の中で彼の演出作品を生で味わえたことは,大きな財産だと思います。

改めて,蜷川さん,今までお疲れさまでした。
あっちの世界でシェイクスピアに会って,「どうだ!」って言っててほしいです。笑

Thursday, June 2, 2016

テレビドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(全10話)

◇STAFF
脚本:坂元裕二
音楽:得田真裕

◇CAST
有村架純/高良健吾/高畑充希/西島隆弘/森川葵/坂口健太郎/浦井健治/福士誠治/安田顕/大谷直子/田中泯/柄本明/高橋一生/松田美由紀/小日向文世/八千草薫

2016年1~3月にフジテレビ系列で放送,1~5月に鑑賞

自分の意思で第一話から月9を観たのは生まれて初めてかもしれない…。
放送開始前から「月9に坂元裕二!」と知り合いと共に盛り上がっていたのだけど,徐々に録り溜め族になり,気づいたらGWに入っていました。笑
…ので,一気に観ました。きっと一話一話,一週間を待ちながらじわじわ観ていたら,ヒリヒリした感じで冬の季節を過ごすことになったと思います。作品のつめたい温度に私もやられていたと思うので,そういう意味ではちょっとあったかくなった時期にまとめて観て良かったです。

放送開始前から直後は,渋谷駅の山手線外回りの階段下に,この(↑)超巨大広告がどどーんと貼られていたのだけど,全話を視聴して改めて見ると,なんともいえない気持ちになります。だって作中,一度もこんな幸せそうな表情をすることがなかったのだもの。2人とも。きっと音ちゃんも練くんもこんなふうになりたかったんだろうなと思うと,なんだか苦しいです。

田舎を出て東京で生きていく,生きていこうとする音ちゃんは,苦しさの度合いは違えども,年齢も含めて私とかぶるところがちらほらあり,うぐぐぐ…と思いました。笑
特に,自分の部屋が欲しいの,すごーくわかる。本当はマイホームがいいけれど,せめて賃貸でも自分の力で手に入れたスペースで,安心したい。そんな感じとか。
地元から離れたところで生きていく作品って,地元に焦がれるパターンと捨ててきたパターンの二つに分けられると思うのですが,私は焦がれるパターンが好きじゃないので,この作品は…見てて苦しいところはもちろんあったのですが,冷たい冬の空気感と地元への思いが繋がっている感じで,良かったです。


では,ここで私のぐっときたシーンやせりふをどうぞ。(唐突)


#4
練くんと佐引さんが仕事先でぐちゃぐちゃ言い合い始めて,結構やばいかもとなってきたあたりで同僚にぐちゃぐちゃを見られた瞬間の,佐引さん(高橋一生)の
「愛し合ってたんだよ,ばか」。
→この切り替えがとんでもなく鮮やか。胸ぐら掴んでる勢いなのに,高橋一生が高良健吾をハグして彼の背中をぱふぱふしてる風味に見せてしまうところが,この人のアグレッションの出し方の怖さだなーとしみじみ。同時に高橋一生の演技力の高さにぐわっときました。笑


#5
「片想いなんて扁桃腺とおんなじだよ。何の役にも立たないのに,病気の元になる。僕を好きになりなよ。僕だったら,君に両思いをあげられるよ。」
→西島隆弘演じる井吹さんのせりふ。そうかぁ。扁桃腺なのかぁ。でも,なかったら病気になれないんだよなとか。両想いってもらえるもんなんですかって思ったりとか。

「私,一度人を好きになったら,なかなか好きじゃなくならないんです。好きになってほしくて好きになった訳じゃないから。たとえ片思いでも,同じだけ好きなままなんです。」
「はい。僕も同じ意見です。」
→こここここ,これ!!!!!!昨年同じ時期にTBSでやってた『問題のあるレストラン』と一緒のせりふなんですが!!!!!坂元さんがそんな人なのかな!!!!!「なかなか好きじゃなくならない」という表現が素敵すぎて苦しい。そして「同じ意見です」とか返されたらどうすればいいんだろうという感じになるじゃないの…。


#7
「どうして,何の用ですかなんて聞くの。何の用ですかぁなんて。用なんかあるわけないじゃないですか。用があって来てる訳ないじゃないですか。用があるぐらいじゃ来ないよ。用がないから来たんだよ。顔が,見たかっただけですよ。」
→音ちゃんのせりふ。その通りすぎて。笑 好きなひとにこんなの聞かれてしまったら,私もつらいなぁ。


#9
「練の好きは買えないよ。練の好きはお金で買えるようなものじゃないの。何かと交換できるようなものじゃないの。」
→練のことが好きな小夏ちゃんのせりふ。手切れ金を断る言葉選びが,まっすぐで刺さりました。一般的に「好きって気持ちは買えない」じゃなくて,「練の好きって気持ちは買えない」って,固有名詞出してるあたりもなんだか素敵。

「かっぱなんか作ったって楽しくないし。」
『何をするかじゃなくて誰とするかだと思うけどなぁ。』
「え?」
『楽しんでくれる人がいれば楽しくなると思う。僕はこなっちゃんとだったら何をしてても楽しい。』
「晴太ってさぁ,何で普通に好きって言わないの?」
『ん?』
→同じく小夏ちゃんと,小夏ちゃんのことが好きな晴太くんの会話。3つめの,『僕はこなっちゃんとだったら何をしてても楽しい』というせりふはとても説明的で,初めて聞いたときは坂口健太郎がせりふに喋らされている感がしたのだけど,小夏ちゃんの返しを聞いてそっかそっかとなりました。普段素直に表出を出せない晴太くんの,精一杯だったんだなぁと思って。

「会いたいです」と音ちゃんが練くんにメールを打つのだけど,そのあと
“私もあい”→“会えません”→“今はまだ会えません”
と打ち直して練くんに送るシーン。メールって温度が伝わりづらくて,相手に届く“結果”しか見えないものだけど,結果に至るまでもプロセスってちゃんとあるんだよなぁと改めて感じました。どんなことを考えてこの文章を作ってくれたのだろうって。考えたら楽しいんだろうなって。


#10
「私はもう決めて…」
『決めることじゃない。恋愛って決めることじゃない。いつの間にか始まってるものでしょう?決めさせた僕が言うことじゃないけど。』
→#9のかっぱのくだりもそうだけど,きっとこのあたりが坂元さんらしいんだよね。恋愛を改めて言語化して,気づきを促すようなこの感じ。しかもこの『決めさせた僕がいうことじゃないけど』ってせりふを,わりかし淡々とした口調で西島くんが言っちゃうのもなんだかずるい。笑


あとやっぱりいろんなキャストさんの中でも,高畑充希が良かったです~。早く舞台で拝みたい~。笑
この人の,無理してるあたりと素っぽいあたりの変化がとても丁寧で,素敵なのですー。
音ちゃんと仲良くなっていくあたりもホントに2010年代の20代女子がわちゃわちゃしてる感じで,好きでした。笑

でもって第一話に出てきた柄本明が怖すぎて怖すぎて,頭から離れない…。本当に一話しか出ていないのに,この作品の中でも結構なトラウマレベルです。コワイヨ~。大切なひとのお骨がトイレに流されるとか本気で恐怖です。これをやってのけてしまった養父の柄本さん,さすがです…。

作品の時代が結構前から始まっていて,東北も舞台で出てきたときに考えるのは2011年の3月11日で,これも関係するのかと思いきや…作品中では確か全く触れなかったので,世の中で重要なことと個人にとって重要なことってやっぱり全然違うんだなぁと改めて思いました。

月9の視聴率としてはあまりよろしくなかったみたいですが,私は春を待つ東京で生きていく彼女や彼をじんわり味わえて,満足なドラマでした。
坂元裕二作品を観るぞーと意気込んでいる割に,『私たちの教科書』でストップ状態なので,なんとかしたいと思います…。